人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

私たち以外の人類

私が興味のある分野の一つに古人類学があります。
私たちホモサピエンス以外にもヒト族に属する人類が多く生きて、そして滅んでいきました。
そしてたまたま私たちは生き残って現在地球を支配しています。

類人猿からホモサピエンスに至るまで直線的に進化してきたのではなく、途中でいくつかの系統に分かれていくつかの人類が生まれています。
ホモサピエンスと同時期に生きていた人類もいます。
有名なところではネアンデルタール人やデニソワ人でしょう。
ホモエレクトスも同時期に生きていたと言われます。

別の種の人類が大昔に生きていて、しかもホモサピエンスと同時期に生きていたなんて考えるとワクワクします。
一体どの程度交流があったのか。
お互いに同じ種と認識していたのか、あるいはそれ以上に異なる存在だと考えていたのか。
とにかく証拠が少ない分野なのではっきりしたことが言えないことが多いですが、技術の発展で色々なことが分かってきている分野でもあるので今後が非常に楽しみです。

私たちホモサピエンスが現在の唯一の生き残りなので私たちが優れていたと考えてしまうかもしれません。
私たちは選ばれた存在だと。
しかし実際にはネアンデルタール人などと比較して特別優れた存在であったというわけではなく運の要素が強かったようです。

地球が現在のようにヒトにとって安定した気候になったのはつい最近のことです。
それまでは氷期と間氷期の繰り返しで大規模な気候の変化を繰り返してきました。
短期間に気温や水位が変化して、その都度人類は絶滅したり人口を縮小させてきました。
10万年ほど前で起きたインドネシアでの噴火では火山灰はヨーロッパにまで届き地球を寒冷化させたと言われています。
これらの地球規模の気候変動の中で偶然に生存を促す環境に私たちがいたということです。
それに私たちが生きている期間はまだネアンデルタール人よりもずっと短いのです。
まだまだたいして生きていないのです。
偶然が重なってヒトの歴史から見ると僥倖な一瞬で文明を発展させてきただけのことです。
ただここまで人口と増やし科学技術を発展させた私たちは間氷期が終わろうと火山が大爆発しようと人口を減らしながらも後数百万年ぐらいは生き残るのかもしれません。

近年のDNAの研究では私たちホモサピエンスとネアンデルタール人、デニソワ人は交配があったとされています。
これはものすごいことだと思います。
ネアンデルタール人とホモサピエンスは別種と言えるほどDNAが異なっていますが、別種の人類と交流し交配してきたのです。

さて古人類学の発展によってキリスト教やイスラムはどのように考えるのでしょうか。
私はここが非常に興味深いです。
アメリカでは進化論を知らない人がいまだに4割ぐらいいます。
宗教的なものがありますが、キリスト教では進化論は認めており、ヨーロッパ諸国は進化論が常識です。
アメリカの保守的な宗教層とその社会的影響力が他のキリスト教圏とは異なるのでしょう。
イスラムはポケモン禁止で話題になりましたが、進化論をまだ認めていないと思います。

キリスト教自体は進化論を容認していても、多くの人類が存在していた事実とホモサピエンスと交配もあったということをどのようにキリスト教は解釈するのでしょうか。
滅び去った人類は私たちと同じ人間だと考えるのでしょうか。
しかしDNAや見た目も異なります。
そうすると神様は私たちホモサピエンスを特別としたわけではなく、多くの人類を創造したのでしょうか。
滅んでいった人類も神の意志だったのでしょうか。

もし数万年前のようにホモサピエンスだけでなくネアンデルタール人も生き残っていればどうなったのでしょうか。
体格や脳の大きさはネアンデルタール人のほうが大きかったのでもしかするとネアンデルタール人がホモサピエンスを奴隷として扱っていたのかもしれません。
そして現代のように人権概念が発展すると私たちホモサピエンスも人権を認められネアンデルタール人と共存していたのかもしれません。
交配が可能なのでもしかするとホモサピエンスは人口を減らしていったのかもしれません。
こんな想像を掻き立てられてしまいます。

古人類学では以下がバランスよくまとまっていて読みやすいです。

・そして最後にヒトが残った―ネアンデルタール人と私たちの50万年史(クライブ・フィンレイソン)





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[ 2016/10/22 12:42 ] 雑感 | TB(-) | CM(7)

千年続いた村が消えようとしている

10年ぶりぐらいに祖父母の村へお墓参りに行ってきました。
私の一族はずっとその村に住み続けています。
村は1000年以上続いており、私の家も少なくとも江戸初期から続いています。
私の親の世代もほとんどが村に住み続けておりいとこたちも村で育っています。
私は親が結婚と同時に村を出たので新興住宅地で育ちました。

大阪なのですが陸の孤島といった感じでコンビニがありませんし、飲食店もありません。
車で20分ぐらいのとなりの町には大きなスーパーや病院などがあります。
村内は昔からの家が多いせいか大きな家が多いです。
私の祖父の家も立派な門があり敷地内に3つの家と1つの蔵が建っています。
今は叔母が一人で住んでいます。

産業は特になく親世代は建築業などの自治体がらみの仕事と公務員が多いです。
昔から続く村なので政治家との付き合いがありうまく自治体から予算を取ってこれたり、コネで公務員になるのが容易だったようです。
府や市の議員も一族から出しており今は一人だけいます。
私の世代ともなると政治力もあまりなく、サラリーマンや通常ルートで公務員になった人が多いです。

そんな昔から続く村ですが、明らかに衰退しておりあと20年もすれば滅ぶのではないかというところまで来ています。
村を歩いてもほとんど人を見かけることはありません。
住民のほとんどが70代以上です。

親の世代まではほとんどが村に残っていたのですが、私の世代はほとんど村を出ています。
田舎ですが車で駅に出てしまえば大阪や難波まで30分かからないので通勤は不便ではありません。
けれども皆村に住むのを嫌がるのです。
とても閉鎖的で人間関係の濃密さが嫌なのだと思います。
青年団や消防団は参加必須ですし、村中が知り合いです。
冠婚葬祭なども毎回大行事で疲れます。
今となってはそもそも若い世代がいなくなって住みにくいというのもあるでしょう。
また閉鎖的なためか差別意識も強く、私のいとこが結婚しようとしたときに一族から家柄が合わないと言って騒動が起きたこともあります。
村外から嫁に来た女性もやっぱり馴染めないようで離婚率がかなり高いです。
そのためか私の親世代はほとんどが村内や隣接する村の人と結婚しています。

墓参りに行ったときにいとこが遺産相続で土地をどう分けるかでもめていると話していました。
誰が土地をもらうかではなく、誰に土地を押し付けるかです。
使いようのない売れない土地だし、固定資産税も少しはかかりますし、管理のことも考える必要があります。
昔から続く家で金持ちが多く遺産放棄もできないし、もちろん物納も難しいです。

私が小さいときは子供も多くお祭りなどは賑やかでした。
車さえあれば通勤にも生活にも困らなところなのでここまで寂れるとは思いませんでした。
結局は人が住むところとして必要とされなくなったのでしょう。
人口が減るということは人が住む地域も減っていきます。
都会でも田舎でも人を惹きつける魅力がないと生き残れないということです。
地方創生などといって都会からお金を取ってくるのではなく自ら付加価値を創出した地域だけが生き残れるのでしょう。

私が死ぬまでに1000年以上続く村の終焉を見ることになりそうです。

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[ 2016/08/27 14:53 ] 雑感 | TB(-) | CM(6)
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