人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

成長していない

40歳になって思うのは10年前から全く成長していないと言うことです。
あるいは人間性に全く変化がありません。
この10年間は新しい世界を開拓することなく、新しい責任を負うこともありませんでした。
ただ10年が過ぎたという感覚です。

2→6→3→3→4→38(43?)
よく言及される数字です。
一つ上の学校へ進学するたびに確実に世界は広がり、何らかの責任感を持つようになります。
社会人になったときは自立した個人として精神的にも金銭的にも独立し、自分の行動に責任を持つようになります。
また金銭的なものを得ることにより行動範囲が一気に広がります。

しかし学校時代は長くて小学校の6年なのに、社会人生活は40年ほどあります。
社会人になって世界が広がり責任が重くなったところで5年もすれば人間性は固まり後は同じです。
社会人になると新たなステージはあまりありません。
5年ほど仕事のやり方などを覚えて残りの30年以上はルーチンワークではないでしょうか。

海外赴任などで生活環境が変わる、出世して組織を運営する側の立場になる、研究者が世界をより深めていく。
このような場合は社会人生活の中でも新しいステージに入り成長していくと言えます。
しかし、海外赴任したところでステージが1つ増えただけで数年もすれば同じです。
研究者としてのピークは30代後半ぐらいの人が多いです。
経営者の場合は事業環境が変わったり、他者の経営に携わったりとステージがいくつかありそうですが。

人は生と死を見ることによっても成長したり世界が広がります。
20代後半ぐらいから結婚して子供が産まれる人が多くなります。
また両親が亡くなったり、友人が亡くなることも30代では珍しくありません。
東日本大震災も起こりました。
そのような中で自分の内部で変容が起こる人も多くいるでしょう。
ただ私の場合は幸いにも両親とも健在で、子供を持つことも無く、近しい友人を亡くすこともありませんでした。
震災についても私の人間性や人生観に影響を与えることは全くありませんでした。

私は30歳過ぎで自分の能力、器で経験できる世界は大体経験したように思えました。
大体経験したと思うことは自分の人生のこれ以上の発展に対して見切りをつけたと言うことです。
これ以上出世してもしんどくなるだけだし、家族を持ったらたぶん欝になるだろうし、生活をクールダウンして穏やかな日々に切り替えることを望むようなったような気がします。
仕事はほどほどにして、飲み会などの人付き合いを最小限にするようになりました。
この延長としてアーリーリタイアすれば良いのでは思うようになりました。

人生に見切りをつけたとき、では人生の楽しみをどこに見出すべきか。
高校生や大学生の頃は本ばかり読んでいました。
小説の世界の中に心を躍らせたり、構造主義などの思想に出会って世界が崩れ落ちる感覚を味わっていました。
何の責任を背負うこともなく、日々を戯れるような生活ほど心地よいものはありません。
食事して、読書して、ネットして、散歩して、たまに遠出して、たまに飲んで。
人生を楽しむためにこれ以外の生活が思いつきません。
学生の頃は受験や就職、集団生活のプレッシャーなどはありましたが、リタイア後は自分の生存に対する責任と資金の想定外の目減りというプレッシャーぐらいです。
リタイア生活はそれなりに楽しかった学生時代よりさらに楽しいでしょう。

30歳過ぎまでは世界が広がり、可能性が広がっていく人生でしたが、30歳を過ぎてから自分の可能性と人生に見切りを付けて世界を狭めてきました。
仕上げはリタイアを達成してさらに世界を狭めることです。
この10年間は成長していないですが、自分を深く知り、それにあわせて着実に行動することができたように思います。
次の10年はどこかでリタイアしているので、私の人生の最終形態が完成するはずです。
そこではただひたすらに時間が過ぎて行き、自分の存在自体も空気のように軽いものになっていることでしょう。
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[ 2013/09/01 13:12 ] 人生 | TB(0) | CM(4)
リタイア風生活に入るにあたり参考にした古典の件があります。
徒然草の第三十八段「名利につかはれて」です。
名誉欲・利益欲のために本来の自分を失うなかれという内容です。
際限のない向上心はまた自分の首を絞めることにも
つながると私は思います。
一部の企業経営者や成功者のストーリーをマスコミや世間は
好みますが、彼らは突き抜けた特殊な存在でしょう。


>自分の可能性と人生に見切りを付けて世界を狭めて

自分の外側よりも内側の充実を優先するためには
あるところで人生の棚卸をし、見極めが必要だと私は思います。
そのためには若い頃は何かと戦わなければなりませんね。
[ 2013/09/02 09:16 ] [ 編集 ]
>ymさん

兼好法師にしても鴨長明にしても俗世間に十分もまれたからこそ隠棲してからの深みが出ているのかもしれないですね。
もし幼少から出家して俗世間と関わりを持たなかったらあのような深みは出てこないように思えます。

ただ、人生のほとんどを政治家として権謀術数の生活を送りながら、晩年に「人生の短さについて」を書いたセネカの本音はどうだったのだろうかとも思います。
それまでの人生への悔恨から書いたのか、あるいは権力闘争に敗れた哲学者一流の負け惜しみだったのか。

>あるところで人生の棚卸をし、見極めが必要だと私は思います。
>そのためには若い頃は何かと戦わなければなりませんね。

そうですね。
全くそう思います。
誰もがそのようなときを人生に一度は作るべきですね。
それがあるとないとでは人生は全く違ってくるでしょうね。
[ 2013/09/03 00:46 ] [ 編集 ]
自分の決めた方向性に進んでいればそれが成長じゃないでしょうか。
[ 2013/09/03 21:30 ] [ 編集 ]
>yamyasさん

>自分の決めた方向性に進んでいればそれが成長じゃないでしょうか。

うーん。どうでしょうか。
成長の定義は人それぞれでしょうけど、私の場合は進んでいるとか成長しているという感覚はなくなりました。
リタイア環境を整えているのはもう変化することなく落ち着ける環境が欲しいからで、成長に繋がることではないような気がしますし。
[ 2013/09/04 00:09 ] [ 編集 ]
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