人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

宗教セミナーに誘われる男

このブログをはじめてからブログ経由のメールで宗教セミナーのお誘いメールが二回来ました。
人生の意味を一緒に考えてみませんかのようなセミナーです。
たぶんスパムのではないと思うので、ブログの内容を見てメールしてきたのだと思います。

ブログの中では、人生なんて目的もなくただの暇つぶしだの、いつ死んでももう悔いはないだのと書いているので人生に悩んでいると思われているのでしょうか。
私の悩みはリタイアの時期だけでそれ以外はまったく悩むことがないのですが。

実は言うと私はこれまで何度か宗教からのお誘いを受けています。
街中での宗教関係の声かけや家に訪ねてくる宗教団体の話を熱心に聞いてしまうからだと思います。
一度は宗教団体が何度も家を訪ねてくるので母親に叱られたこともあります。
進化論の考え方について何度も議論して盛り上がってしまったのです。

私の一番興味のあることは哲学と宗教学です。
私の興味の対象の中では3割ぐらいは占めていると思います。
主に実在・唯名論、時間論、知覚、構造主義、運命論、科学哲学、中世の神学などに興味があります。
しかし、死はあるのか、自分にとって神とは何かなどとも考えています。
そういう意味では宗教関係のターゲットになりやすいのかもしれません。

けれども私自身には宗教は存在意義を全く持ちません。
この世からあらゆる宗教や宗教的慣習がなくなっても何も私に影響を及ぼすことはありません。
もちろん社会的な意義は認めますし、否定もしません。
それどころか宗教という非常に興味深い現象を学問として探求するのは楽しいです。
正確には私が探求するのではなく、賢い人が探求したものを楽しんでいるだけですが。

信仰を持っている人は私にはとても不思議な存在です。
日本では信仰を持つ親の元に生まれない限りは宗教的な教育はされることはありません。
それなのに何故信仰を持つようになるのでしょうか。
特に一神教という超越した神を信じることができるというのは全く私には理解できません。
昔の友人に自らイスラムを選択した日本人ムスリムがいましたが、彼は非常に興味深い研究対象でした。

なので宗教関係の人から声を掛けられるといつも色んな質問をしてしまいます。
学生か働いているのか、どういうきっかけで入信したのか、家族は信仰についてどう思っているのか。
創造説と進化論など信仰と科学の矛盾をどう解消しているのか。
天国はどういうところとしているのか、果たしてそこは幸せになれるところなのかなど。

そこからこいつは脈があると思われるのでしょう。
あるいは熱心に話を聞いてくれることが嬉しいのでしょうか。
家に何度も訪問されたり、セミナーで人生について考えて見ないかと誘われるのです。
さすがにセミナーへ行くのはちょっと怖いので行ったことがありません。

もしかすると私は人生に悩んでいると思われることが多いのかもしれません。
実際に私を不幸だと思っている人は多いのです。
同級生や祖父母など色んな人にかわいそうだと思われています。
そういう人はこのような図式になります。

結婚していない → 将来一人ぼっちでかわいそう
子供がいない → 人生最大の楽しみを知らず、高齢になったときに面倒を見てくれる人がいない
友人が少ない  → 寂しい人生を送っている
転職を繰り返している → 不安定な人生を送っている
彼女がいない → リア充でなくてかわいそう
人生に目的を見出せない → 意味のない人生を送っている
チャンスがあったのにエリート人生を歩めていない → 人生の負け組み

一方で私の人生をうらやましがる人も意外といます。
このような図式になります。

結婚していない → 嫁との不毛な日々に煩わされず自由に生きられる
子供がいない → 人生最大の責任を負うことなく、高齢になってまでも頼られることがない
友人が少ない  → 余計な付き合いに疲れることがない
転職を繰り返している → 色んな会社を経験できているので世界が広がっている
彼女がいない → しばられることに疲れないし、好きなように遊べる
人生に目的を見出せない → 目的に疲弊してしまう人生を歩まなくてすむ
チャンスがあったのにエリート人生を歩めていない → 少しのプライドやお金と引き換えに優秀な人間との競争や長時間労働で疲弊せずにすむ

本人は何も考えずに気ままに生きているだけでも、かわいそうに見えることもあれば楽しそうに見えることがあります。
他人の人生に自分の価値判断を加えることなんて意味のないことです。
ましてや他人の人生を不幸と判定して、救ってあげなければなければならないと考えることは私には他者に依存した生き方だと思います。
他者に依存した生き方が悪いとまでは言いませんが、それは他者を自分の制御下に置こうとする発想ではないでしょうか。
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[ 2013/08/03 14:55 ] 雑感 | TB(0) | CM(4)
yamyas
私事ですが、自分は生まれた時から親があるアメリカ発の新興宗教の信者でかなり徹底的な宗教教育を受けてきました。しかしどうしても型に馴染めず中学入学したころに断固拒否して離れました。

これは自分の経験から感じたことなのですが、宗教って神とか真理とかとは全く無関係で単に同種の人と人が結びつく力を○○教と読んでいるだけの気がします。学問として色んな宗教を客観的に学んだわけではないのでその団体の内部にいた感覚でしかありませんけど。

まず連帯感とか属するグループへの忠誠心ありきで、神とか真理とか予言の成否は後回し、ぶっちゃけ自分の解釈でいい人の方が多数なんじゃないの?と思います。

ちなみに自分の母親が入信したきっかけは、自宅に訪問してきた信者が聖書片手に語った言葉にビビッと稲妻が走って即入信したそうです。
これってその自宅に来た人物そのものとの相性とか特定の人に訴え掛けるカリスマ性みたいなものに惹きつけられただけのような気がするんですよね。

同じ民族とか部族とか感性とか価値観とか他にもグループがあってその代表みたいななのを作ってそこに忠誠心を求めるのが信仰のような気がします。
[ 2013/08/04 23:07 ] [ 編集 ]
>yamyasさん

興味深いコメントです。
ありがとうございます。

>まず連帯感とか属するグループへの忠誠心ありきで、神とか真理とか予言の成否は後回し、・・・

私もそう思います。
意外と宗教内のルールは緩やかだったりしますし、教義そのものより宗教文化的な紐帯のほうが大事だったりもしますし。

>同じ民族とか部族とか感性とか価値観とか他にもグループがあって・・・

これも同じように感じています。

ただ現代社会で宗教的な価値をどうして維持できるのかというのもまた不思議です。
歴史文化以上の役割を果たしてることが少なくありませんから。

また私には超越的な存在を受け入れるプロセスに非常に興味があります。
特に欧米の知識人には信仰深い人が多いので、彼らが現代理性との齟齬をどうやって乗り越えているのか非常に興味深いです。
[ 2013/08/05 00:16 ] [ 編集 ]
うんちくオヤジのようでお恥ずかしいですが、
宗教を意味する英語の「religion」の語源はラテン語で
re=再び、lig=縛る という意味だそうです。
「再び縛る」大衆をre-ligするのが宗教なのでしょうか。
私には的を得ている部分もあるように思います。

うんちくたれ失礼しました。
[ 2013/08/05 09:21 ] [ 編集 ]
>ymさん

なるほど。
神と人、人と人などを縛る、あるいは結びつけるのでしょうね。

家族、部族、宗教、近代のナショナリズムなど人を結びつける仕組みは色々と変化していき面白いです。
今ではやはりネットでしょうか。
[ 2013/08/05 23:52 ] [ 編集 ]
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