人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

常識と慣習に従って生きる

哲学者は常識を一切取り払って原理的、論理的に考えようとするためにラディカルな考えを持ちます。
しかし一方で哲学者は意外と常識人であったりもします。
少々偏屈で変人だったりするぐらいです。
もちろん無数の例外があるのですけれども。

アリストテレスの「ニコマコス倫理学」を読んだときにきわめて穏当な倫理だなと思ったことがあります。
中庸という考え方は私には面白くとも何ともないように思えました。
デカルトもその社会の慣習に従うべきというようなことを言っています。
頭の中ではどれだけラディカルに考えていても、生活の実践としてはその社会の慣習に従うのが妥当ですし、そうせざるを得ません。
人を殺してはいけないことを原理的に言うのは困難ですが、社会生活上ではそのルールは正しいものとして受け入れて生きていかざるを得ません。

私もその社会で常識と考えられていることや慣習は大抵の場合正しく、かつ従うべきものと考えています。
常識と慣習が確固たるものとして受け入れられていないと社会は安定しないと思うからです。
そして社会を支えているのはそういう大多数の常識をもった人だからです。

例えば大人になると結婚して子供を育てるというのが広く受け入れられている慣習です。
人口の安定は社会の安定に繋がりますし、守るべきを持つことにより人は社会に対してより責任ある行動を取るようになります。
働かざるものは食うべからずというのも大抵の人に受け入れられているでしょう。
誰かが付加価値を生む必要がある以上、この原則がないと社会は安定しません。
働きたいものだけが働けばよいというシステムが確立するのはまだまだ先のことでしょう。
その人の働きに応じてある程度の格差をつけることも認められています。
共産主義がどれだけ悲惨なことになるかを人類は十分に経験しています。

しかし、常識や慣習に反する考えが一方的に排除されるかというとそうでもありません。
どんな時代の社会でも一定程度の包容力があります。
社会が経済的に豊かになったり、思想、言論の自由が認められると異分子も受け入れられます。
現代日本では働かなくていい理由がかなり増えました。
女性の子供を産む産まないの権利も大分認められるようになりました。
個々の生き方の選択の多様性は信じられないくらい広がったように思えます。

若くしてのリタイアは現代日本の常識や慣習には反する生き方です。
家族を持たない人が多いですが、それは安定的な人口の維持に貢献しません。
働かず節約生活のため経済にもあまり貢献しません。
リタイアできるということは本来能力のある人間であるはずで、リタイア以後は社会に貢献しないどころか社会の限られた資源を使う側に回ります。
それでも社会はアーリーリタイアを受け入れてくれます。
自分の食い扶持は自分の責任で何とかするという最低限のルールを守っているからです。

これが親の資産で達成するとしたらどうでしょう。
親の資産は親の意思で使うことができ、子に相続させるというシステムがあるので認められはします。
ただしこれは社会からはより否定的に見られるでしょう。
自分の食い扶持を他者に頼っているからです。
それでも社会の許容範囲を超えてはいません。

生活保護に頼るとなると社会の許容範囲を超えてしまいます。
現在の日本社会では正当な理由がない限りは自分で稼ぐか親などからの私的な援助で食べていかないといけないからです。
その正当な理由の定義はそれほど広くは解釈されません。
もちろん少しずつ定義するところは広くなっていき、遠い将来には理由がなくても働かなくてよくなる可能性が高いです。
逆に働くことが最高の贅沢になることもありえます。

常識や慣習に従う生き方とそれに反する生き方を考えると、従う生き方が正しいと思います。
どんな社会でも正しいとされることがないと成り立ちません。
社会は常識と慣習に従う人たちが支えてくれています。
しかし、自分にとってより良い生き方がそのようなものに従わない生き方だとすれば社会が許す範囲なら従わなくても全く構わないと思います。
それは社会の包容力であって、そのような社会に感謝すべきだと思っています。
また社会に正しさと包容力があるからこそ、正しさへの反発をばねに新しいものが生まれてもきます。

私はアーリーリタイアを数年以内にする予定です。
働くのが面倒だからですが、働くのが常識という社会に対して全く文句を言うつもりはありません。
日本の仕事のあり方が間違っているとか、日本の労働は奴隷と変わらないなどと言うつもりもありません。
なぜならアーリーリタイアという選択肢を社会は許容してくれているのですから。
自分のより楽しく生きたいというわがままであり、そのようなわがままをさせてくれる社会に対して文句があるはずもありません。

日本の会社がブラックであるなら自営業をしたり、起業すればよいだけのこと。
働きたくないならアーリーリタイアを目指して働く期間を圧縮すればよいだけのこと。
異性ではなく同性が好きなら同性と恋愛すればいいだけのこと。
子供が嫌いなら産まなければいいだけのこと。
これらは現代の日本では全て認められています。

社会の許容範囲を超えて常識や慣習に従いたくない場合はどうするか。
一つは日本を捨ててそれを許してくれる社会に移住することです。
日本ほど包容力がある国はなかなかないとは思いますが。
国籍まで捨てるのは難しくても海外で暮らす人はたくさんいます。
経済再生策としてリタイアが許されない社会になったら私も東南アジアに脱出しているでしょう。

もう一つはそのような常識や慣習を変えるような運動を起こすことです。
ただし常識や慣習を変更するようにその他の大多数の人間を説得できるまでは従うべきだと考えています。
もちろん従わないとなると社会から制裁を受けることになりますが。
このとき大事なことは社会が間違っているというのではなくこのようにしたら社会はより良くなるという提案が必要だということです。
違法な活動をしてでも社会を変えたいこともあるでしょうが、ここまで来ると反政府運動や革命運動となり意味が違ってきます。

私は社会の常識や慣習はその時々の状況にあわせて形成されるものであり、大抵の場合はそれが正しいと思っています。
もしそれに対して反対なら自分が間違っているのです。
間違っている自分を貫きたいなら、安全地帯からの文句でなくそれなりの覚悟を持って貫きその結果を受け入れることです。
そうすると社会が自分の正しさを認めることがあるかもしれません。

ただし常識や慣習といってもそれを装う人間もたくさんいます。
ネット住民のようにあまりにも狭い世界でしか暮らしていない人には常識が見えていないこともよくあります。
現在の社会で常識や慣習とされているものをしっかり見抜く能力も大切です。
そうでないと反発する相手が間違っていることもあります。

たまたま私は日本の中流家庭に生まれ経済力と包容力のある社会で生きる幸運を得られました。
世界的に見ても相当上位レベルの幸運を得ながらもさらにわがままに生きようとしています。
社会が私のような生き方を許してくれているのに、常識的に生きる人を馬鹿にしたり悪口を言ったりすることはできません。
それは社会から恩恵をしっかり受けておきながら、その相手に対して逆切れして開き直っているだけのことです。
もちろん常識に従っていないことに対してはしっかりと文句を言ってもよいです。
おそらく現在の日本の問題は大多数が常識と考えているようなことが守られていないことにあると思います。
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[ 2013/06/23 13:09 ] 社会 | TB(-) | CM(4)
常識に対抗
こんにちは

一般的なアーリーリタイア本では独身が多い気がします。

僕も独身なら一年100万程度でもやっていけると思いますが、そこは世間の常識というやつに囚われていたため、普通に結婚して、普通に子どももいます。

そのため、少なくとも、貧困家庭よりは少し上位の収入を確保しなければならなくなりました。

その結果、手取りで400万位を最低限度のラインとして考えています。

幸いにもあと3年半位で達成できそうです。

お互い頑張りましょう。

[ 2013/06/23 17:52 ] [ 編集 ]
>yamazaki112さん

家族持ちでリタイアを目指しているのですね。
尊敬してしまいます。

400万ぐらいですか。
やはり教育費などを考えるとそれぐらい必要なんですね。

私と同じぐらいの時期にリタイアですね。
頑張りましょう。
[ 2013/06/23 22:53 ] [ 編集 ]
らいくむさん

リタイアは確かに世間一般ではマイノリティでありますが
リタイア出来る人は当然常識も持ち合わせでいるので世間一般の目が気になってしまうというのが悩みになると思います。

ただ自ら意思をもって選択をしているという点において、その他一般の方に比べて一段も二段も上の悩みであります。

わたしは現在の仕事に飽き飽きし、面倒くさい、ダルいという気持ちがおさえられなくなり、退職することにしました。
引き止めの際に言われたことは「生活できるんか? 他が決まてから辞めれば? こんないい会社ないよ」などというありきたりな話でした。

こういう人たちはある意味拝金主義だと思う。

「(たった)これだけの給料でこんなアホくさい仕事をしないといけない。そう思いながら働く自分もまた拝金主義者に成り下がっているのではないかと」

世の中、本質が見えない馬鹿が多くてうんざりしたのも事実

私はお金は好きですがそれは自由に生きるための道具であり、
いざという時のために使うものだと考えております。

ちょっと横道にそれましてすみません。
[ 2013/06/24 09:30 ] [ 編集 ]
>とまさん

人の決めたことに何かを言いたがる人はいますよね。
自分とは異なる生き方を選択されると自分の存在基盤が不安定になると思ってしまうのでしょう。

ただ儀式としてそういうことを言うのではないかなとも思います。
親子でもなければ他人の生き方なんてそんなに興味がないと思いますし。

お金でも何でも生きることに関する本質なんて自分さえ分かっていれば何の問題もないと私は思いますよ。
[ 2013/06/24 22:51 ] [ 編集 ]
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