人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

乞食

海外を歩くときいつも乞食を観察してしまいます。
社会の経済状況や文化により乞食が社会で占める地位は当然異なります。

日本で乞食を見たことがあるのは2度だけです。
日本にはホームレスはそれなりにいますが乞食はやはり少ないと思います。
生活保護などの福祉が手厚いし、面倒を見ることができる家族もいることでしょう。
数も少ないし乞食は社会から排除された存在でどうしても惨めに見えてしまいます。

経済成長のおかげか東南アジアは最近は乞食が減ってきているように思えますが、昔はかなりいました。
乞食がある程度多いと恵む側も慣れているので小銭を自然に恵むことができます。
しかし恵むことに慣れていない日本人は自然に恵むことは苦手なようです。
私も恵んだことがありますが、どうにも何ともいえぬ居心地の悪さを感じてしまいます。

多いのは子供を抱えた母親ですが、特に水頭症の子供を抱えている母親を見ると何ともいえない気分になります。
他には手や足がないような人や老人などが多いですが、若い人は少ないように思えます。
若い人には労働するチャンスがあるのかもしれません。
カンボジアは地雷で足を失った乞食がたくさんいます。

東南アジアでは乞食は社会的にそれほど力を持ってないように思えますが、理不尽に虐げられているとまでは見えません。
社会から排除されているまでは思えず下層階級という感じでしょうか。

インドやネパールなどでは乞食はかなり多く一つの社会集団として形成しています。
またマフィアなどによる乞食ビジネスもシステムとして出来上がっています。
東南アジアと違って若い人もかなりいます。

乞食は余りにも堂々としており金よこせぐらいの勢いです。
堂々と停車中のバスの中にも乗り込んできます。
少なすぎると文句も言われます。
こちらとの身分差を強調するようなこともします。
チャイ一杯のために足に何度も口付けをされたときは本当に参りました。
何とも嫌な感じがするもんです。

インドやネパールの寺院の入り口では乞食がずらりと並んでいるのに出くわしますが、いい悪いではなく厳然と一つの社会階層が存在していることを訴えかけてくることでしょう。

インドやネパールの乞食は悲惨さを感じながらもその存在感の強さには圧倒されます。
下層階級ではあるのですが、東南アジアより社会の一つの階層としての自己主張があります。

中東まで行くとイスラムの影響もありそれなりに乞食の存在が認められています。
東南アジアやインドなどと比較すると自然な存在です。
恵む側も恵んでもらう側も何とも自然な行為で違和感をあまり感じません。
ラマダンなど社会行事あるたびに乞食に食事が振舞われるなどしており、少なくとも排除されるような扱いは受けていないように見えます。
ここでも下層階級ではあるのですが、社会に一定の役割を果たしているような感じでしょうか。

概して経済的に貧しい状態や失業が多い地域は乞食が多いのは当たり前です。
ヨーロッパは失業率が高いせいか、乞食ではないですがタバコや小遣いをせびってくる若者が多くて驚いたことがあります。
しかし、それ以上に文化、社会的背景が乞食をどのような存在として扱うかは大変興味深い問題です。
乞食が社会から排除されているのか、社会の内側に組み込まれているのか、助けるべき存在なのか、要求すべき存在なのか。
固定された社会階層なのか、抜け出る道がある程度用意されているのか。
精神障害者についてもどのような社会的存在かも同様に興味深いです。


このような問題意識を持っている人はやはりいるようでバックパッカーが書いた以下の本が面白いです。
乞食の赤ちゃんレンタル、手足を切り落とされる話、腎臓をとられる話など噂にはよく聞く話が書かれています。

物乞う仏陀 (文春文庫)



もう一冊は精神障害者の存在を歴史社会学的に分析したフーコーの名著ですが、資料の扱いに疑義を提示する人も多いようです。
哲学や社会学が好きな人でないと読めないと思いますが、神との通信、社会の排除の問題を考えるのによい本です。

狂気の歴史―古典主義時代における

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[ 2012/10/13 16:41 ] 海外旅行 | TB(-) | CM(0)
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