人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

残された人生の時間は長いのか、短いのか

先日同い年の友人が会社で定年後の人生計画というようなセミナーに出席したそうです。
まだ定年まで時間がだいぶあるように思うのですが、早くもそのようなセミナーがあるとはびっくりです。
もしかすると暗に定年前に辞めろというサインを出しているのでしょうか。

セミナーでは定年後に残された人生の時間について話があったそうです。
定年後に残された人生はこれほど短いのかという反応があったのだろうと私は思いました。
健康寿命を考えると残された時間は本当に短いです。

ところが友人を含めた周りの反応はそんなに残された時間があるのか、
いったい何をして過ごせばいいんだろうかというような反応だったそうです。
趣味とかを見つけないとという感じでした。
友人はこれをきっかけにトレッキングを始めたいと言っています。
百名山を制覇するなどの目標を立てると一生の趣味になるのではとのことです。

長い人生を何をして過ごしていいか分からないという人はアーリーリタイアなんて考えられないのでしょう。
でもそれはそれで働くことに生きがいを感じて人生を歩めばいいだけのことです。
それもとても良い人生だと思います。

70歳まで現役の社会になるように政府は頑張っています。
財政が持たないのでそうせざるを得ないのですが、高齢でも働きたい人は働けるというのはいいことだと思います。
やることがないと言って家にいるよりはよっぽど健全です。
ただし若者を排除するような制度による身分保障ではなく、市場の価値に即した雇用が前提でないと困りますが。

私のようなアーリーリタイア志向の人は残された時間は足りないと感じていると思います。
私も残りの人生の時間を考えると短すぎて悲しくなります。
読みたい本はたかだか40年ほどでは読み切れないだろうし、huluのドラマ、アニメだけでも相当見たいものがあります。
最近北海道に旅行し、再び旅行をしたいなと思うようにもなっています。
いやただ単に毎日のんびり暮らしてちょっと美味しいものを食べてという平凡な日常でも飽きないです。

普通に会社に勤めて子供を育ててという人は人生の主目的は仕事と子育てになるのかもしれません。
もしそうだとすると教育を受けている準備期間と仕事と子育てという人生の主要な時間が終われば、やはり余りの時間となってしまうのでしょう。
人生の各ステージでそれぞれ生きる意味が違うのだろうなと思います。
意味が違うということは人生の強度みたいなものが異なるのでしょう。
余りの時間は子育てなどの外部からの強制による人生の意味付けというものがありません。
自分自身で生きる意味を見つけ出すというのは年を取ってからでは難しいのかもしれません。

私の場合は親に依存する子供の時と自立した大人の時の違いしかありません。
そしてそれはずっと自分の為だけの人生であり、人生の意味が仕事や家庭といった何らかの外部のものに影響されることはありませんでした。
人生に区切りがなくずっと同じ人生が続く感じです。
同じ時間が続いてもそれが当たり前と思っていたし、それが楽しいと思えるのでできるだけ長く人生が続いて欲しいと思えます。

時間というものは絶対的なものではなく相対的なものだとは思いますが、同い年でも残された時間の感覚は全く異なるものですね。
私のようなセミリタイア状態の人と会社員では1日、1月、1年の時間感覚も全く異なるのでしょう。
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[ 2017/08/12 12:47 ] アーリーリタイア | TB(-) | CM(7)
こんにちは。

 私はもう仕事は十分満足ですぐにでも辞めたいのですが、私より年長の人で、お金も困っていないのにまだまだ仕事をしたがっている人は多いです。余生を考えると楽しみの時間に充てたほうがいいと思うのですが、家での居場所がないというのが大きい理由のようです。働くことで存在感を示していたのが、それがなくなると代わりものが必要になるのでしょうが、それを準備していなかったということです。あるいは、1人だけの時間を過ごすことが難しいのでしょう。
[ 2017/08/13 07:38 ] [ 編集 ]
>マークさん

そう考えるとやはり高齢でも働ける仕組みがあったほうがいいですね。
いつも思うのですが単純なバイト程度の仕事はできるだけ高齢者にしてもらうのがいいのだと思います。
逆に知力と体力のいる仕事をいつまでも40歳以上の人がやるのではなく若者に譲るべきだと思っています。
[ 2017/08/13 19:09 ] [ 編集 ]
はじめまして
セミリタイア41歳独身男性です。
介護離職により、セミリタイアとなりました。
しっかりとしたブログ内容で、好感持てました。

僕も周りからは、
散々、言われます。
「仕事しろ、正社員になれ」
と。

もう、それは、無理なんですよね。
氷河期世代で、失敗した世代でしたし、
精神的にも参り、また、それなりに稼げたので、今はアルバイトをして過ごしてます。

それにもかかわらず、
「まだ、働け」という、世間や社会からの圧力って、
おそろしいものですね。

なぜ日本人は、働くことが、それほどまでに
好きなんでしょうか。
[ 2017/08/16 20:46 ] [ 編集 ]
僕も残された時間がめちゃくちゃ短いと感じています。
子供ができたらまさに子育て教育にこれから20年ほど取られます。
もはや自分の時間が無いですw
60代半ば以降にまだ元気ならいろいろとやることにします。

自分で働きたいと思う人はどんどん働く社会がいいと思いますね。
[ 2017/08/16 22:57 ] [ 編集 ]
>ポンタさん

はじめまして。

なぜ他人の人生のことが気になり、何らかの影響を及ぼそうとしたがる人が多いんでしょうね。
たぶん、日本人は働くことが好きというよりはみんなと一緒でないと安心できないので、一緒じゃない人に同じ行動を要求するんじゃないでしょうか。
遠い将来ロボットが働く時代では働いている人に何故働くんだと怒っていると思います。

>招き猫の右手さん

子供には金銭や物理的な時間だけでなく精神的にも時間が取られてしまいますよね。
親は本当に偉いなあと思います。

働きたい人は気持ちよく働き、働きたくない人は自己責任で働かないというのがシンプルでみんな幸せになれると思います。
[ 2017/08/17 15:45 ] [ 編集 ]
公共性
こんにちわ。いつも、ブログを楽しみに拝読しております。

先日、以下の本を読んだのですが、
「自由と秩序 - 競争社会の二つの顔 (中公文庫)」


個人にとって合理的と見える選択が、社会全体にとって必ずしも合理的とはならない。個人が個人の福祉にのみ関心を集中させて、それを最大化することに専念しても、人間という類にとっては、(長期的に見れば)不十分だ。という記載がありました。

つまり「公共性」ということを問うことなく、個人の福祉を論ずることはできない。(「個と全体のパラドックス」から逃れることはできない。)

公共性への配慮を欠いた人間の合理的計算能力(理性)が、人間を絶滅させる力にもなりえる。


人間は理性によって滅ぶという可能性は、あると思いますか?


※長文失礼しました・・




[ 2017/08/19 01:34 ] [ 編集 ]
>dharadaさん

こんにちは。

>公共性への配慮を欠いた人間の合理的計算能力(理性)が、人間を絶滅させる力にもなりえる。

部分最適の問題はいつでも起こりえますし、実際にあちこちで起こっていると思います。
社会保障制度は高齢者が若者に負担を押し付ける典型的な例ですね。
左翼の正義は全体を見通せない部分的正義への偏狭的な固執だと思っています。

ただこれは人間が個別的な動物である一方で地球という有限な環境で共同体を営んでいる以上は必然的に出てくる問題です。

けれども私は人間は公共性を持っていると信じています。
人は他者の存在を考えることができますし、まだ生まれていない世代についても考慮することができます。
理性が合理的なら公共性への配慮も当然持つことができるのではないでしょうか。

理性によって人類が滅ぶということはないのと思います。
[ 2017/08/19 19:23 ] [ 編集 ]
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