人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

合理的な主体

伝統的な経済学では合理的な経済人を想定します。

しかし実際には大多数の人は合理的に行動することはありません。
人は感情をどうしても優先してしまいます。
損失を過大に評価したり、サンクコストにとらわれたりすることは人間として自然なことです。

このような非合理的な人間が市場に参加しているためバブルを生み、バブルの崩壊を招きます。
市場に歪みが出ることにもなります。
ヘッジファンドにはこのような市場の歪みを利用して稼ごうとしているところが多くあります。

資産運用がうまい人は投資に対して厳格なルールを持っている人だと思います。
感情に流される大多数の人は感情に流されない投資家に利益を持っていかれるのでしょう。

感情のコントロールに自信がもてない人はインデックス投資しかないと思います。
私の場合も短期売買を繰り返しているときには自分のルールをすぐに破ってしまい感情をコントロールできていませんでした。
そしてありがちですが、9勝1敗なのに損失のほうが大きいというパターンを繰り返したものです。

経済学では経済人の心理的バイアスなどに着目した行動経済学などは人間の非合理性を捉えようとしています。
それなりに研究が進んでいる分野です。

では政治学はどうなのでしょうか。
非合理的な政治人を前提とした政策学などはあるのでしょうか。
政治学については全くの門外漢なのですが、政治に合理と非合理を区別するのは難しそうです。
政治とは経済のように効用を単純化できるものではないからです。
効用を測るものが価値観に大きく依存する以上は合理と非合理を超えたものになります。

原発による風評被害や国家間の感情のもつれによる外交の停滞などは人間の非合理的な感情に起因します。
もちろん安全性が完全に証明されていることや円滑な外交より相手国との紛争に価値を求めている場合には非合理とは言えないのですが、一般的には非合理と考えてよいでしょう。

人間の非合理的な行動を前提とした政治学が必要だとは思うのですが、実際にはどのようにすればよいのでしょうか。

合理的に行動できるように人間を教育すればよいのでしょうか。
そんな方法があるのかどうかも分からないですし何を持って合理的というのかという問題もあります。
今も昔も絶望的にレベルの低いメディアを何とかする方法があればよいのですが。
リテラシーのない人ほどメディアに接する時間が長くなり、メディアも顧客の要望にこたえていくという負のスパイラルに陥っているように思えます。

選挙制度を変えればよいのでしょうか。
基本的知識の無い人間の投票価値を例えば2分の1にする。
被選挙権は経験と資格を必要とする。
これらは案外有効なのではないかとも思います。
前者は法の下の平等に反しますが。

専門家の知見をもう少し国民に還元できるようにする。
これはかなり重要なことだと思います。
専門化が長年積み上げてきた議論は社会に還元すべきなのに無視されやすいです。
残念ながら世の中の人は専門的な議論なんて興味はないのでしょう。
肝心の専門家でさえそうなのですから。

地方分権を進めて様々な価値観で運営する自治体を作り、国民は自由に所属する自治体を選択する。
これは中々有効かもしれません。
様々な価値観があることを認めて一つの価値観に縛った大きな行政単位よりそれぞれの価値観を体現した小さな行政単位を多数作れば、そこにある価値観を選んだことによる責任を引き受けるということができるのではないでしょうか。
再生可能エネルギーしか使わない自治体があったり、韓国や中国と喧嘩ばかりする自治体があるかもしれません。

と思い付きを書いてみましたが、いかんせんあまり知識がないのでどういう政治や政策があり得るかよく分かりません。
戦争にいたるまでの非合理的な判断が選択されていく経緯などは研究されていると思うのですが、非合理的な人間を前提として政治制度や政策がどうあるべきかの研究は勉強不足で知りません。
このようなことをテーマに研究している人はいないのかなあ。
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[ 2012/08/13 01:20 ] 雑感 | TB(-) | CM(0)
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