人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

インプットとアウトプット

生きていると日々様々な知識や経験を手に入れていきます。
バックパッカーをしているときはその土地の人と話したり、遺跡や自然、町を見たり、現地の食事を体験しました。
仕事をしているときには様々なビジネスや組織のありかたを学びました。
読書では歴史、哲学、宗教学から、経済学、ビジネス、生物学、ミステリなどを幅広く読んでいます。
他に趣味はないですが、食べることが好きなのでグルメ系の情報は日々インプットしています。
今後仕事や旅からのインプットはなくなりますが、美術館、博物館めぐりを趣味にするかもしれませんし、他の新しい趣味に目覚める可能性もあるでしょう。

インプットという意味ではこれまでの人生で平均的な人よりはかなりの知識と体験を積んできたと思います。
あくまで平均よりはというレベルであって何かに打ち込んでいる人よりはインプットの量は少ないと思います。
仕事でも趣味でも本気の人のインプット量は半端ではないです。
一流のビジネスマンに読書家は多いですし、小説家は執筆するテーマに関して専門家並みに知識を取得していて驚かされます。
以前さかなクンの魚の知識への貪欲さをテレビで見たことがありますが、心から好きなものがある人の知識欲は驚異的です。

一方でアウトプットについては私はほとんどしてきませんでした。
仕事ぐらいだと思いますが、私は大した仕事をしていないのでアウトプットも大したことがないです。
このブログもアウトプットと言えるかもしれませんが当たり障りのないことを週に1回書いているだけです。
これをアウトプットと呼ぶのは恥ずかしいものがありますが数年続けているので自分のこれまでのインプットが反映されているのも確かでしょう。

私にはこのアウトプット、何かを産み出すことに楽しみを見出している人がすごいし、素晴らしいなと思うのです。
何故なら私はインプットばかりでアウトプットに楽しみを見いだせないからです。
小説や専門書、映画から建築物や家具、Wikiなど、仕事であれ、趣味であれ多くの優れたアウトプットがあるからこそ私はインプットに喜びを見出せます。

学者が自分の発見や考えを素晴らしさを世に問いたいとか、知って欲しいというのは分かります。
新しいビジネスで世の中の生活を変えたい、儲けたいというのも理解できます。
芸術家が自分の内部にあるものを吐き出したい衝動も何となく想像できます。
しかしそれらで要求される努力や苦しみを考えると私にはとてもじゃないけど無理です。

また娯楽系の小説家や漫画家の創作意欲はどこから来るのかがよく分かりません。
やはり人を楽しませたいというモチベーションなのでしょうか。
そのために苦しい思いをして創作するのでしょうか。
私には学問などのように自分視点でアウトプットするのではなく、他人を喜ばせるためのアウトプットというのは理解しがたいです。
あるいは娯楽系の小説家も他人の為というよりは自分の衝動で書かずにはいられない人たちなのでしょうか。
私は元々プラモデルなどにも全く興味がなかった人間なのでアウトプットへの衝動が理解できないようです。

立花隆がインプットの量が1000とするとアウトプットは1ぐらいだと書いているのを読んだことがあります。
芸術はまた異なるでしょうが、研究でも小説のような創作でもその位のインプットがないとアウトプットはできないのだと思います。
だからこそ希少性があり、価値あるものとして流通するのだ思います。。

しかし現在ではITの進展で気軽にアウトプットを社会に提示できるようになりました。
ネットで簡単に自分の思想を述べたり小説やデザインを公開することが可能です。
ネット上の共同作業で何かを作っていくことも可能でWikiはその例でしょう。
ビジネスでもネット上のコラボも生まれていますが、これも共同でのアウトプットと言えます。

しかし一方で質の悪いものも当然生まれます。
1のインプットで100のアウトプットをする人も増えてきます。
誰でも経済政策や専門家の意見に対する批判をブログや掲示板に書き込むことができますが、その対象となっていることのインプットが1ぐらいの人がほとんどでしょう。
私も日銀の異次元緩和の批判を書いていますが、私の経済や金融政策の知識レベルはせいぜい経済学部卒レベルで院レベルにも達していないと思います。
各種統計情報なんて気になった時に年に数回日銀などのサイトで見るぐらいで、ほとんどロイターや日経などでのエコノミストの解説記事で読むだけです。
私のブログも含めて何らかの意見を書くようなブログはあまりにも知識量が不足している人が書いています。
そして何らかのことに対して自分の意見を表明するというのは最もお手軽なアウトプットです。
同様にヤフーニュースやアゴラで濫造されている記事でもあまりにもインプット量がお粗末な人が多いのが現実です。
そこにつけられるコメントは記事以上に程度が低いのは言うまでもありません。

社会の変化には良い面と悪い面がありますが、誰もがネットを通じて何らかのアウトプットをできるようにやはり良いことだと思います。
例え大部分が価値のない、あるいは有害なアウトプットであっても。
人の創作意欲を満たす場ができ、Wikiのような便利なものができ、ミンネのように創作者と消費者をつなげるようなサービスもできました。

今後も私は日々かなりの情報をインプットしていくでしょうが、アウトプットすることはないと思います。
以前にはほんのちょっとだけ自分の勉強のためにリタイア後に科学哲学の解説サイトを作ろうかなと思ったことはありますが。
インプットすることで自分が楽しめれば十分で自分で何かを考えたり作ったりするなんて面倒なことはすることはないでしょう。
アウトプットには他人に向ける場合と自己完結する場合がありますが、いずれにしても創作や自らの考えを構築をしたいという人たちがいるのが私には不思議ですしありがたいことでもあります。
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[ 2016/05/14 12:30 ] 雑感 | TB(0) | CM(7)
こんにちは

 若い頃は、OUTPUTのためにINPUTをしていました。主に仕事ですが。今後は仕事のためのINPUTは必要性が低くなり、教養としてのINPUTになるでしょうか。人生後半にも目標が欲しいものです。私の場合は目標がないとINPUTもできないので。
[ 2016/05/15 16:24 ] [ 編集 ]
>マークさん

仕事では30代半ばまではがむしゃらにインプットして30代後半からはアウトプットしていくと言いますよね。
そしてアウトプットが尽きたら仕事は惰性になるのでしょうね。
私はインプット自体が楽しいのでアウトプットがなくても大丈夫みたいです。
[ 2016/05/16 01:01 ] [ 編集 ]
>
誰もがネットを通じて何らかのアウトプットをできるようにやはり良いことだと思います。

このブログも含めて、人間の承認欲がなせる業でしょうか。

最近プロ囲碁棋士を破ったAIは、人間のプロ同士の対局の8500年分に相当するインプット・アイトプットで楽々とプロ棋士に勝ったようです。

人間は、AIに能力的に凌駕されても承認欲や自己実現欲は消えないでしょうね。
[ 2016/05/16 09:09 ] [ 編集 ]
>通りがかりさん

内部から吐き出すという作業のデトックスのような心地良さやインプットしたものを整理しておきたいという欲求などもありそうです。
無人島にいてもアウトプットしたという欲求は消えないのでしょうね。
[ 2016/05/16 23:37 ] [ 編集 ]
プログの場合は、世間に公開することが前提ですから
意識的無意識的承認欲があると思います。

非公開を前提とする個人情報書き放題の日記のようのものとは
自ずと違ったものになるとは思います。

匿名・公開ブログというのは、その中間的な性質かもしれません。

インプット・アウトプット競争では、疲れ知らずで、半永久的・超高速で経験を積めるAIと人間とでは、近い将来あらゆる分野で・総合的に、神とネズミほどの知能差となるようです。

ネズミにもいろんな欲がありますから
欲に沿って粛々と生きていくのでしょうね。
[ 2016/05/17 06:07 ] [ 編集 ]

インプット量がお粗末な人が多いのが現実です。
そこにつけられるコメントは記事以上に程度が低いのは言うまでもありません。

ブログとコメントの程度には、ある程度の相関関係があるとは思います。

同程度・同趣向ゆえに、共感・反感を感じやすく、ついコメントしてしまうとすれば・・・ゆるいコミュニケーション媒体とも考えられますし

デトックス欲・情報交換欲・コミュ欲・ボケ、ツッコミ欲など、神~ネズミレベルまで、いろんな程度でいろんな欲が満たされる場でもあるのでしょう。
[ 2016/05/17 08:34 ] [ 編集 ]
>通りがかりさん

ブログは当然自己承認欲が含まれていると思います。
私は非公開の日記でも外部視点の他者という自分を想定している限りは同様に自己承認欲はあると思っています。

私の場合はネット上での自己承認欲は
SNS>他者のブログへのコメント>自分のブログという感じですね。
やはりSNSは実名となるので強いと思います。
コメントは匿名性と多数性が薄れる気がするからです。
私の年代の人はネット上の仮想的な自意識は薄くて相対的には若い世代より自己承認欲などは少ないのかなと思います。

記事とコメントが釣り合っていればそれなりに面白いのでしょうけどね。
記事の内容が書き手やコメントを書く人の知識と釣り合っていない場合が読んだ時の時間を無駄にした感じがあります。
例えば私はネグリやクルグマンに批判的なことを何度か書きましたが、彼らのような知性と私のちょっとした批判ではレベルが違い過ぎてたまに恥ずかしくなります。
[ 2016/05/17 22:29 ] [ 編集 ]
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