人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

他者との比較で生きる

多くの人は他者との比較により自分を位置付けて生きています。
生きていると他者と競争することが多いのですからある程度は仕方がないところがあります。

しかし他者と比較して生きることは楽しそうには思いません。
自分の人生は自分のものであり他者のものではないからです。
また嫉妬や僻みを持って生きることが楽しいはずがありません。
そんなことは多くの人は分かっているはずです。
しかしそれでも他者と比較してしまうのは人にとって自尊心というのは相当強い感情だからです。

下流老人などという言葉に食いつくのも下流という言葉が持つ魅力でしょう。
勝ち組、負け組という言葉も違和感なく使われる言葉となりました。
他者と比較する言葉がこれだけ氾濫するのはそれだけ人の嫉妬心や自尊心が強いということです。
もちろんそのことがメディアや政治のビジネスとして成り立つから余計にこのような言葉が氾濫します。

他者との比較で最低限の自尊心を満たせない人は攻撃的になったり、社会を恐れてしまうことがよくあります。
失敗を恐れて仕事ができなくなり家に引きこもる人は多いでしょう。
ネットでも現実社会でも常に他者の劣ったと思われることを攻撃してしまう人もいます。
自分の自尊心を満たすために自己を国に拡大してしまう人もいます。
そのような人は日本人がノーベル賞を取ったときなど、日本が優れているとされる部分で自分の自尊心を満たし他国の悪口を言ってしまいます。
子供を自慢する親も自己を拡大している例と言えるでしょう。

自分に自信がある人は他者からの評価を必要としません。
自分自身の価値観が確立されていたり、実際に優れているため他者からの評価が必要でないからでしょう。
中には他者からの評価を必要としないと主張することで自尊心を満たす人もいますが。

しかし特に優れているわけでもない普通の人が他者からの評価から逃れるのは簡単ではありません。
社会で生きている以上自分の価値観を確立するということもそんなに簡単なことではないと思います。

では他者からの評価から逃れる簡単な方法はないのでしょうか。
私は孤独に生きることだと思います。
孤独に生きるということは結局社会や他者に興味を持たないということだと思います。
子供のころは集団生活をある程度強制されますが社会人になると集団生活を強制されることが少なくなります。
最近では会社が個人の価値観に介入することが少なくなってきましたし、転職もしやすい環境になってきました。
孤独に生きることが容易になってきていると思います。

もう一つは自分の興味あることに集中することだと思います。
オタクと呼ばれる人たちは社会からは一段下に見られることが多いと思います。
しかし彼らにはそんなことはどうでもいいことでしょう。
好きなことだけやっていられればそれで満足なのだと思います。

あとは2チャンネルのような掲示板に近づかないということでしょうか。
人の攻撃性がそのまま現れたり嫉妬が渦巻いている世界では他者の評価は需要な指標となってしまいます。
ネットの世界を現実世界の価値観だと思い込んでしまい、ますます嫉妬したり他者の評価を欲するようになってしまいます。

アーリーリタイア志望者には他者との比較に縛られている人が少ないと思います。
低所得者であっても少ない予算で人生を楽しむことができて、自分の価値観を持っているために他者への嫉妬心などをあまり持っていないように感じます。
私のように社会や他者に興味がないという人もいると思います。
もちろんアーリーリタイアできるということが他者より優れていることの根拠になっている人もいるでしょう。
自分自身の価値観を強固にしたいがためか、社会一般の価値観を揶揄することに熱心な人もいるでしょう。
これらの場合は他者との比較をまだ必要としているのかもしれません。

アーリーリタイアを目指すことは社会では少数派の生き方です。
恐らくそのようなことを目指すこと自体が他者との比較から離れていく方向に引っ張られるのでしょう。

他人と比較してしまうのはあるべき価値観、生き方を政府やメディアが提示しようとするということもあります。
大きな問題では歴史教育など、小さな問題では老後に必要な資金など。
日本も十分経済的に豊かになり成熟した国になったのですから、そろそろ個人の生き方を自由に認める方向に進むべきときでしょう。
社会にはルールやモラルは必要であっても全体を統一する価値、生き方などは個々の人生を楽しくすることに役立つとは思いません。
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[ 2015/10/18 11:29 ] 人生 | TB(0) | CM(14)
自然界では例えば、働きアリ2割働かないアリ8割で

人間界でも本当に役に立ってる人間2割
本当は役に立ってない人間8割といった感じだそうです。

アリリタ者も本質的には多数派にすぎません。


[ 2015/10/19 09:58 ] [ 編集 ]
補足

いわゆるパレードの法則ってやつですが

http://kimniy8.hatenablog.com/entry/2015/05/17/194336

になるほどと思える解説がありました。
[ 2015/10/19 18:29 ] [ 編集 ]
>ssさん

「働かないアリに意義がある」は人間社会を思い浮かべながら読むと確かに面白いです。
ただアリの場合は常に起こりうる様々な状況に対して働く閾値のシステムなので人間社会との比較は難しいものがあります。
大きな災害の時や戦争などの国民を総動員する状況であれば比較可能かもしれませんが。

リンク先のかたも本書を読んでいないように思います。

8:2の法則は働いていると実感することが多いですね。
私の感覚では3:4:2:1ぐらいです。
ただこれも社会集団を定義した時の相対的な貢献度であり絶対的なものではないのでどの集団について述べるかによって論点は異なってくるかと思います。
[ 2015/10/19 23:52 ] [ 編集 ]
不幸と不平等って違いますよね。

不幸だけどみんなと同じだから不幸な自覚が無いって人は多いし、他人と違ってはぐれ者だから恵まれていてもその自覚がない人もいるし。

執着してるモノサシが幸不幸よりも平等基準になってますよね。
[ 2015/10/20 01:46 ] [ 編集 ]
他人と比較しない、これを突き詰めると瞑想が目指す所の悟りになるんですかね。自分を客観視して起こっていることを眺めるという。

現実社会で折合いがつかないからこそ瞑想に頼る必要があるのかと思います。なかなか悟ることのできない普通の人は孤独に生きるなど、情報や影響を自ら自制して自分で決めたルールに従っていくのが近道かもしれませんね。

私もお金に目処をつけて気にすべき事象を減らして行きたいと思っています。
[ 2015/10/20 04:44 ] [ 編集 ]
>
自分を客観視して起こっていることを眺めるという。

それも生きる能力のひとつかもですね。
生まれつき自然にできる人もいれば
努力してできる人もいれば・・・一生無縁の人も一定数いたり・・・

しかし客観視しすぎて、生きてる実感すら乏しくなってしまうこともあったり・・・


他者との比較による弊害は扁桃体(核)系の過剰反応によるもののようです。
好き嫌いの中枢・・・不公平感・・・ストレス・・・
そういった環境に適応しやすい遺伝子(組み合わせ・変異等)2割と
潜在適応能力を持つ遺伝子8割が存続されていく結果オーライの一見いい加減システムは続くよ絶滅までは~といった感じでしょうかね。


http://utsu-kyushoku.net/column/022.html
http://www.nirs.go.jp/information/press/2008/index.php?02_12.shtml
http://www.nirs.go.jp/information/press/2008/index.php?02_12.shtml
[ 2015/10/20 05:41 ] [ 編集 ]
僕自身は、人類が大半の期間を過ごしてきた狩猟採集平等共感的社会はそれなりにいいと思いますが、総合的にはリスクも大きくとても居心地が悪そうです。

確かに現代には表面的な平等感はないですが
はぼ必然的に変化する社会環境は、どうしようもない流れでもありますし、それに適応しやすい者・そうでない者が、平等ではなく・・・相応の生活レベルを維持するというのもある意味、必然・やむをえない流れだと思っています。

別の言い方をすれば、野獣に襲われるリスクが減った分、見かけ上の共感性の低下による心的リスクが上がったといった感じでしょうか。
[ 2015/10/20 06:08 ] [ 編集 ]
>yamyasさん

>執着してるモノサシが幸不幸よりも平等基準になってますよね。
そうですね。
社会的存在である以上は他者との比較が幸不幸の基準になりがちですね。
基準を自分の中に置けと言われても難しいですが、そうするしかないですよね。
そうでないと疲れる人生になってしまいますから。

>YYYさん

自分を客観してできるような方法でも意識的に関わりを避ける方法でも他者との差に煩わされることが減りますね。
他者に疲れた場合は何らかの工夫が必要ですね。

私の場合は自然と他者に興味が無くなってきました。
若いころは人並みほどではないですがもっと嫉妬心などがあったと思います。

>ssさん

人それぞれの個性によるのでしょうね。
平等な社会や人間関係が安定的な社会を望む人もいるでしょうし、ひたすら自由を求めて自分のことはほっておいてほしい人もいるでしょうし。
他者に優越することで安心する人、普通であることで安心する人もいることでしょう。

私なんかは狩猟社会では絶対に生きていけないだろうなと思います。
もちろん現代の田舎も無理です。
生まれてから関西を出るまでは私に構ってくる周りのすべてがうっとおしくて息苦しくて仕方がなかったですし。
[ 2015/10/21 00:07 ] [ 編集 ]
らいくむさんの個性は、平均よりオキシトシンが少ないタイプ
という感じがします。

狩猟社会では、ひとりでコツコツとより性能のいい石器の加工改良をやって生きていくタイプといった感じでしょうか。
[ 2015/10/22 05:24 ] [ 編集 ]
>ssさん

仰る通りだと思います。
不器用で石器の加工なんてできそうにないので、一人でできる別の仕事を探さないといけないですが。
[ 2015/10/22 23:49 ] [ 編集 ]
他者の比較について自分なりにまとめてみました。

自己にとって関連・関心があるモノへの妬みというのは
心の痛み(ストレス)であるということ。

妬みは、向上心にもなれば・引きこもり・犯罪の引き金にもなりうる。

個性というのは、格差の元にもなる。

特に資源に乏しい国では、勤勉さの尊重などある程度の価値観の共有がないと全体としてジリ貧・衰退・秩序崩壊の可能性もある。
[ 2015/10/25 09:23 ] [ 編集 ]
>ssさん

私もおおむねそう思います。

>特に資源に乏しい国では、勤勉さの尊重などある程度の価値観の共有がないと全体としてジリ貧・衰退・秩序崩壊の可能性もある。

途上国は当てはまると思います。
成熟した先進国ではどうでしょうか。
日本でも他人と同じであることを求める人と他人のことを気にしない人がいます。
果たしてどちらの方向が全体としての豊かさや幸福を得られるのか難しいところです。
[ 2015/10/26 00:15 ] [ 編集 ]
>
日本でも他人と同じであることを求める人と他人のことを気にしない人がいます。
果たしてどちらの方向が全体としての豊かさや幸福を得られるのか難しいところです。


成熟した先進国の場合、途上国よりも 他人を意識する人・他人と同じであることを求める人の割合が多いほうが国を維持する上では有利だと思いますが、多すぎると好戦的になると思います。

日本やフランスなどは、現時点では、他人と同じであることを求める人と他人のことを気にしない人などの割合のバランスがとれていて

国全体としての物質的精神的豊かさ・幸福感を得ているランキングでは、GDP・社会保障制度など総合的に見て、上位だと思います。永遠のできそこないの人類の一員としては、立派なもんだとも感じています。

個人的には、日本以外の国で終の棲家になりそうな国は見当たりません。
[ 2015/10/26 06:10 ] [ 編集 ]
>ssさん

私も相対的には日本は他の先進国と比較して物質的にも精神的にも豊かな国だと思っています。
不満がある人も多いでしょうし、私もかなり不満はあります。
でも私のライフスタイルや価値観では特に日本はとても住みやすい国だと思っています。
もしかすると日本というよりは東京かもしれませんが。
[ 2015/10/26 23:45 ] [ 編集 ]
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