人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

聖書

今年印象に残ったニュースと言えば最古の写本とされるクルアーンの断片がイギリスで発見されたことです。
羊皮紙が568年から645年のものとされており、ムハンマドは632年に亡くなっているのでムハンマドが存命中のものである可能性が高いです。
ただし羊皮紙だけが古い可能性を主張する学者もいるようです。
文書の構成が預言者存命中のものとは異なっているのではないかということです。
どこかでインクの年代鑑定もするというような記事を見かけたように思うのですが、その結果が書かれている記事は見つけられませんでした。

聖書は信仰を広めるための重要なツールです。
ほとんどの宗教には聖書があると思います。

しかし考えてみるとどの辺が聖なる書なのか疑問を持つことがあります。
仏教の経典や旧約聖書なんて様々な話を寄せ集めたり、その時々で改変されています。
歴史的な逸話や聖者の伝説など何をありがたがるのだろうかと思ってしまいます。

一方でクルアーンは神の言葉そのものです。
新興宗教などにはあるかもしれませんが、神の言葉そのものが記述された聖書は伝統的な宗教には少ないのではないでしょうか。
神の子とされるイエスがこのように言っていたという言葉よりは神そのものの言葉のほうがありがたみを感じられます。

またクルアーンはムハンマドの死後20年ほどで現在の形になっているのでかなり信ぴょう性が高いものです。
すでにイスラム共同体が十分組織化されているので正典化作業もそれほど問題はなかったのでしょう。
新約聖書は1世紀には原型が出来上がっていますが、多数の記述の集合体でマタイやヨハネが本当に福音書の著者かどうか疑わしいとされています。
正典化に時間がかかっているということもどれを正しいとするか論争があるような状態だったのでしょう。

クルアーンの優れたところは神の言葉そのものとしたことと最後の聖書だと言い切ったところだと思います。
旧約聖書も新約聖書も聖書として認めて、しかし神が最後に送った完璧な聖書がクルアーンだというのです。
これは中々うまいあるいはずるい戦法です。
こうしておくとユダヤ教徒やキリスト教徒の思想をうまく取り入れたり、彼らをイスラムに改修させるのも容易になるでしょう。
またイスラムの後の宗教も認めないということになります。
聖書は打ち止めだということです。

クルアーンと旧約聖書には矛盾点があります。
ユダヤ教徒からするとムハンマドがユダヤ教徒から教えられたことを誤って解釈したのだということになります。
イスラムから言うと正しいのはクルアーンです。
旧約聖書は人の手が入っており誤って伝えられている一方でクルアーンは再度正しい知識を伝えているとするからです。

私のような信仰のないものからすると聖書なんて単なる物語であったり、道徳や法の書でしかないです。
現代でも小学校で道徳の教科書がありますし法についても学びます。
その体系が異なるだけで共同体を組織化、安定化する目的は変わりありません。
しかし、そこに人知を超えた存在を思い繰り広げられる物語を思うとき聖書は面白くなります。

日本人にとっての聖書はもしかすると憲法なのかもしれません。
憲法なんて読んだことのない人がほとんどだとは思いますが。
刑法などとは異なり憲法は価値を支える神聖なイメージがあります。
単なるルールのはずなのに憲法を変更するとなると社会的な反発が大きいのも神聖性があるからではないでしょうか。
社会の変化に対応するため解釈や運用方法を変化させる手段を持っていることも似ています。
聖書が神の存在を主張することでその正当性を保持します。
憲法は民主主義や人権、平和を主張するすることで正当性を保持します。
ただそれだけの違いかもしれません。
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[ 2015/10/10 16:46 ] 雑感 | TB(0) | CM(2)
ハディースっていう指導者の言行録はクルアーンには関係ないんでしたっけ。
神そのものの言葉か。。。

しかしイスラムがこれで最後の聖書!と言い切ったといってもそれ以降一神教が新たに出てきてないのは面白いですね。
やっぱさらに新しいものが出てきたよーん、とかいって新たな新興一神教が出ても良さそうに思いますが。

日本人にとっての聖書って聖徳太子の和をもって尊し、どうたらこうたらのやつじゃないですかね。
現行の憲法はアメリカからの貰いモンだとか色々悪く言う人がいますが、聖徳太子については悪く言う人はあまり聞きません。
[ 2015/10/11 22:24 ] [ 編集 ]
>招き猫の右手さん

ハディースはあくまで言行録であってムスリムが手本にすべきものですね。
もちろんクルアーンに次ぐ法源なのでムスリムにとっては守るべきルールとなります。
ハディースはクルアーン以上に退屈極まりないです。

考えてみると世界的な一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラムはすべて同じ神様なんですよね。
一神教は多神教とは違いあまり独自性を出せないのだと思います。
キリストの神もアッラーもたいして違いがあるとも思えません。
なのですでに一神教がすでに影響力を持っている地域で新しい一神教を起こすのは難しかったのかもしれません。
歴史上何度も原理主義的な運動が起こっているのは過去の理想的な一神教に帰ることによって新たな一神教を擬似的に作り上げるという意味もあるように思えます。
[ 2015/10/12 01:16 ] [ 編集 ]
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