人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

エコノミストの経済予測

株価が相変わらず乱高下しています。
日経平均の好調が続くとしていたエコノミストの予測通りにはいっていないようです。
これが一時的な調整で合ってくれればよいのですが。

エコノミストの経済や市場予測は中々当たらないものです。
基本的に経済環境は一回限りのものであって繰り返しているものではありません。
そのようなものに対して予測を立てるのは非常に難しいことです。
各種統計、調査などの無数の要因からその時々の環境で意味のある要因と判断を下すことは不可能に近いでしょう。
繰り返しに近いプロ野球の順位予想でさえそんなに当たらないのですから。

ほとんどあてにならないと思われる経済や市場の予測はそれでもあちこちに氾濫しています。
結局は予測に需要があるからだと思います。
人は納得できる説明を欲します。
例え客観的な分析に基づいていることを装った占いであってもです。
先祖の祟りだという説明と同じように客観的な分析もその関係性が不明確な統計などに依存しているのです。

説明を欲するという人々の需要に従ってエコノミストは予測を供給します。
しかしありきたりなことを言っていては需要側は退屈します。
なのでより断定的な説明になったり、需要が欲するような説明をする傾向が出てきます。
中には常に年末の株価は3万円とか逆に常に日本経済の崩壊を訴える人もいます。
こちらは目立つだけ目立つことによって知名度を上げる戦略でしょう。
極端な言葉は好まれるので毎回予測を外しても仕事が来るのでしょう。
あくまで経済学者やエコノミストも商売です。
オーソドックスなエコノミストであった森永卓郎さんが芸人の道へ走ったのはその極端な例です。

未来の予測は難しいものです。
では過去の分析は容易なのでしょうか。
これもまた難しいと思います。
すでに起こった事象に対してどれが重要な要因かを判断するのも予測の時と同じくらい難しいのです。
それらしく見える要因と結果を結びつけますが、これらは科学実験のように再現させることはできません。
結局は予測と同じく納得できる説明だと思えたときにそれを受け入れているだけです。
後から説明が変わることも不思議ではありません。

結局は未来の予測も過去の分析も現在を表すだけなのではないでしょうか。
手に入るデータから未来を予測してもそれは結局現在の中にある未来です。
同様に手に入るデータから過去を分析しても現在の中にある過去です。
そしてその現在の状況をより説得的に説明できる人が評価されるのです。

ロトくじの当選番号の予測を考えてみます。
ある人がこの番号で1億円が当たるといいます。
それは過去の当選番号をあらゆる角度から分析した結果導き出したものです。
ある人は単純に確率から当たらないと否定します。
もし本当に当たった時にどちらを評価するでしょうか。
結果から判断するのでしょうか。
あるいは当選結果が分かる前の予測時点の説得的な説明を評価するのでしょうか。

私は起こった結果と予測の不整合の分析は必要だと思いますが、予測時点の説得的な説明を評価します。
しかし世の中には予測が当たった事実のほうを重視する人がそれなりにいるようです。
サブプライムローンの崩壊を予測したエコノミスト、今回の世界同時株安を予測したエコノミストという記事などがよくあります。
ラジャンの場合は当時の予測と現在の分析が一致しているから評価されているのです。
しかし大抵の場合は当たった人によるさらなる分析や予想と言う話はノーベル賞受賞者による予測と同じぐらい下らないものです。
予測時の説明の妥当性を評価しないのならワールドカップの予想をするタコと変わりません。
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[ 2015/09/12 13:01 ] 雑感 | TB(0) | CM(6)
->私は起こった結果と予測の不整合の分析は必要だと思いますが、予測時点の説得的な説明を評価します。
学問の世界ではそうですが、実利の世界では結果がすべてです。
株、ロト・・・これらはすべて実利でしょう。
現実的な投資家は当らないノーベル受賞者より、当るタコに賭けるはずです(笑)。
[ 2015/09/12 14:14 ] [ 編集 ]
>なすびさん

>学問の世界ではそうですが、実利の世界では結果がすべてです。

同じかと思います。
結果がすべてというのは予測をした人に対する報酬システムで意味を持ちます。
次回の予測の信頼性は前回の予測の妥当性と結果との関連性から導かれます。
明日の天気で1年後の株価を予測して当てたとしても関連性が導かれない以上は実利の世界でも採用されない予測方法だと思います。

タコとノーベル受賞者のどちらの推測方法も理解できない場合はこれまでに当てた回数が多いタコにかけるということはもちろんあり得ます。
[ 2015/09/12 15:05 ] [ 編集 ]
->次回の予測の信頼性は前回の予測の妥当性と結果との関連性から導かれます
私はそういうことを「学問的」と表現しました。
現実に相場は学問では当て切れません。
可能なら投資相場自体が成り立っていないでしょう。

学問は学問らしい分野でやればよい、相場でやる必要はない・・・ということが言いたかったのです。
[ 2015/09/12 16:10 ] [ 編集 ]
>なすびさん

>現実に相場は学問では当て切れません。
学問というか分析から相場を正確に説明したり次の予測が正確にはできないのはその通りだと思います。
しかし相場にかかわるあらゆる人はスタイルに合った何らかの分析をしているはずです。
分析に頼らず勘や気分だけで相場をして生き残っている人がいるとはあまり想像できません。
そしてどの分析を用いるかは結局は以下の作業の繰り返しです。
>次回の予測の信頼性は前回の予測の妥当性と結果との関連性から導かれます


>可能なら投資相場自体が成り立っていないでしょう。
分析から予測が可能なら相場が成り立っていないという意味ならその通りだと思います。
相場に限らず人間社会のあらゆることは不確実性であふれています。。
また記事で言いたかったことは予測は現在の分析でしかなく不可能性が明らかであり、それでも需要があるということです。
そしてその不可能性にもかかわらず予測という努力が金融政策の高度化などに大きく貢献してきたわけです。
[ 2015/09/12 20:44 ] [ 編集 ]
エコノミストはほとんど証券会社関係でしょ。本当は暴落すると思っていても絶対そんなこんな言いませんよ。
[ 2015/09/19 19:02 ] [ 編集 ]
>バッタモンさん

エコノミストに限らず自分や自分の所属機関の利益などを考慮した発言になるのは当たり前のことであって、普通はそれを考慮したうえで説明を聞きます。
そもそもポジションを取るためだけの説を述べる人も多いですからね。

私はエコノミストのバイアスは市場の活性化による収益というよりは長期的な資本主義の成長バイアスが強いという印象を持っています。
[ 2015/09/20 23:55 ] [ 編集 ]
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