人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

70年前の出来事

戦後70年談話が発表されました。
70年があるということは60年も50年もあるのかと思ったらありました。
村山さんと小泉さんが首相の時です。
しかしそれ以前は検索に引っかからなかったのでもしかすると50年の区切りの総括から始まったのかもしれません。
しかし60年、70年と発表してしまったので80年もあるのでしょう。
どこで止めるかという決断はいつするのでしょう。
区切りの100年で最後にする可能性が高いのでしょうか。

この時期になると沖縄戦の終結辺りから広島、長崎への原爆投下、そして終戦へと様々なところで行事が行われます。
夏の風物詩になっています。
大抵は被害者である一般国民や国や家族を思って戦った軍人と一方での軍部の暴走という構図です。
そこには悲惨な体験をした自己しか存在しません。

戦前も戦後も世界では数多くの戦争が行われ、悲惨な事件が数多くありました。
戦後ではベトナム戦争、ポルポトによる虐殺、文化大革命、チベット侵攻、スターリンによる粛清、中東戦争、イラク戦争、中南米での左翼ゲリラと政府との紛争、ボスニア内戦、現在ではイスラム国など。
しかし第二次大戦だけがいまだに大きく扱われ、政治的に強い影響があります。

第二次大戦は多くの国が参戦した戦争です。
しかしそれ以上にこの戦争が善と悪の戦いで善の完全勝利に終わったということが大きいと思います。
それまでの戦争は植民地をめぐる戦争のようにどちらかが正義を担っているなどということはありませんでした。
第二次大戦ではナチスによる民族浄化や日本による帝国主義的な拡大が不正義とされました。
そして日本もドイツも完全に敗北したのですからもうそこに正義は認めてもらえません。
残念ながら無条件降伏した敗者には何の権利もありません。

アメリカとロシアは現在でも大国で近年は中国が急速に力をつけています。
これらの国が正義を体現したからこそいまだに第二次大戦の結果に政治的な価値があるのだと思います。
ベトナム戦争では悪とされたアメリカが負けた戦争です。
アメリカは区切りの年に大々的にお詫びの談話を発表しているでしょうか。
善とされたベトナムにしても強国のアメリカを刺激しすぎるのは恐らく避けているでしょう。

第二次大戦は戦争に正義という観念を持ち込むようになったターニングポイントではないでしょうか。
それ以後の多くの戦争がお互いに正義を主張するようになりました。

人は正義を体現すること、被害者という無垢の存在を欲します。
政治的なものもありますが、もっと深いところにある人間の他者への優位への願望があるのでしょう。

面白いことに自分とは全く関係のない70年前のことでも自分の優位性の問題と考えることができるのです。
第二次大戦の出来事について中国や韓国の若い人が日本を非難したり、日本の若い人がそれに対して反論したりできるのです。
私からすると70年も前に起こったことの善悪なぞ自分と全く関係ない出来事でしかありません。
原爆や沖縄戦に関わることも同じです。
そこで悲惨なことが起きたのは確かでも果たしてその場にいなかった人が正義を継承して他者を非難し続けていくのが正当なことなのかは疑問です。

一方で国際社会が国という単位で成り立っている以上は70年前の事であっても何らかの立場を求められることも理解できます。
過去への立ち位置を明確にすることで未来を創る必要があるのも確かです。
日本が過去を反省し平和な社会を作り上げることに貢献するという決意には意味があるのでしょう。
いつかはアメリカが原爆投下を反省する来る日もあるのではないでしょうか。
例え国際社会という政治的なポジションが重要性を持つ場でも未来への志向は必要です。

よく過去に学ぶ必要があると言います。
しかし個人的な日常生活ならまだしも、もっと大きな国家単位のことで過去に学ぶことなど知れていると思っています。
それは過去が繰り返しでは決してないからです。
ただ一度限りのその時々の社会条件で起こる出来事がそれほど現在に役立つとは思えません。
過去を振り返ってその価値判断でうだうだ論争する時間があるのなら現在どうするべきかを考えたほうがよっぽど生産的です。
そして過去への価値判断は結局政治的なポジションでしかありません。

それにしても世の中には忘れてはいけないこと、風化させてはいけないことばかりです。
第二次大戦、原爆投下、水俣病、御巣鷹山の事故、福知山線の事故、薬害エイズ、オウム事件、阪神淡路大震災、東日本大震災など。
平和な日本でさえ沢山の事があるのに世界には一体どれほどの忘れてはいけないことがあるのでしょうか。
社会的に忘れてはいけないことにもキャパシティがあります。
何であれいつかは忘れ去られます。
優先されるのは第二次大戦のような政治的な意味があるものです。
それでも1000年後には第二次大戦なんて教科書の1ページの記述でしかないでしょう。
そもそも現在の国家制度なんてなくなっているでしょうし。
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[ 2015/08/16 12:02 ] 雑感 | TB(0) | CM(4)
やはり原爆です。
原爆が発明されてから大国同士の全面戦争はありません。
今後もないでしょう。
先の大戦は1000年後も記憶に残る戦争になるでしょう。
日本は悪いタイミングで敗戦くじを引いてしまいました。
[ 2015/08/16 21:23 ] [ 編集 ]
>なすびさん

原爆が実際にどの程度大国間の戦争の抑止力になったのかは議論が色々とされていますが、ある程度の抑止力となったことは確かでしょうね。
MAD戦略なぞ私には狂気としか思えませんが、世界はこういう危ういところで均衡を保ってきたのでしょう。

>日本は悪いタイミングで敗戦くじを引いてしまいました。
日本が世界の流れを見誤った必然の結果なので仕方がないですね。
[ 2015/08/16 23:56 ] [ 編集 ]
ケンぺス
第二次世界大戦だけ特別視されるのは、それが国家総力戦だったからではないでしょうか。国家総力戦は当事国が持っている国力を限界まで吐き出します。勝っても負けても壊滅的なダメージを負います(負けた方はさらに戦後重い負担が課される)。日本人にとっては史上初めての体験です。核兵器の惨禍を被ったのは広島と長崎だけですが、総力戦の被害は日本人全体に及びました。第一次世界大戦で国家総力戦を経験しているフランスは、第二次世界大戦では総力戦を避けるために戦況が悪くなったらあっさりドイツに降伏しました。

日本は第二次大戦は当初国家総力戦など全く想定していませんでした。軽い気持ちで中国で軍事行動を起こしたら、止める機会を次々と失い、気がついたら日本国を総動員しなければならなくなってしまい挙句に壊滅しました。軽い気持ちの軍事行動がいつの間にか国家総力戦では日本人が軍事行動を怖れるのも無理もありません。世の中平和を貴重なものと連呼することは国家総力戦は嫌だという気持ちの裏返しだと思いますし、意義のあることだと思います。
[ 2015/08/21 11:46 ] [ 編集 ]
>ケンぺスさん

国家総力戦というのは大きいでしょうね。
ただ近代以降の軍事、経済的な意味での国家総力戦は少ないとはいえ、地域全体の生活を巻き込んだ戦争というのは珍しくありません。
私はやはり当時の参加国や現代的な状況などの政治的、社会的な意味があるからだと思っています。

戦前の日本では総力戦の想定シナリオはかなり論じられていたイメージがあります。
政治の場でもそうですし、陸軍では永田鉄山などがそのために陸軍の改革を進めていたと思います。
国民はもちろん何も考えていなかったでしょうが。
[ 2015/08/22 00:02 ] [ 編集 ]
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