人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

歴史の密度

最近、歴史の本を読むのはほとんど中世までの本です。
特に現代史にあまり興味を持たなくなりました。

若いころは近現代史の本ばかり読んでいました。
現代の国際体制のもととなるウェストファリア条約あたりからフランス革命、両世界大戦などに興味を持っていました。
戦後の歴史では米ソの核戦略の歴史や中東の紛争などの本をよく読んでいました。

今ではヨーロッパ、中東のローマ時代から16世紀ぐらいまでの歴史、思想に興味を持っています。
アジア圏についての本はあまり読まないのですがこちらも16世紀ぐらいまでが興味の対象です。

なぜ中世に興味を惹かれるかというと自分とは全く異なる世界で生きていた人たちにロマンを感じるからです。
これが近現代史となるとなかなかロマンを感じることができないのです。
現代から近い時代だと自由な想像を働かすことができないからだと思います。

時代が近いということはそれだけ自分の価値観で過去を見ます。
戦国時代の戦であれば戦の悲惨さなど何も感じません。
現代の価値観で善悪などを求めることはばかげています。
しかし例えば明治維新ぐらいになると写真も残っているような志士が活躍した時代です。
どうしても彼らの思想や行為が現代的な価値観に晒されてしまいます。
私からすると第二次大戦なんて大昔の全く縁のない他人たちの事件でありそこに何らかの価値判断を下すようなものではありませんが、現代社会の日中韓のネット系の人や政治家にとっては現代の問題と考えているようです。

そして私が常に思うのは歴史の密度とでもいうべきものです。
歴史を振り返るには資料が必要です。
自然、遺跡、文書、絵画、習慣、習俗、口伝などが歴史を再構成するための資料ですが、現代では映像やネットの情報のようなデジタルの資料が多くなっています。
この資料が多いほど人類の活動をそれだけ拾い上げることができるのだと思います。

古代では利用できる資料が少なく、石器時代だと住居跡、人骨、貝塚のようなもの、自然ぐらいしかありません。
それが現代に近づいていくと資料が増えていき、明治以降であれば一般人であっても日記などを付けるのは珍しくありません。
古代のような識字率が極端に低く、紙などが貴重な時代とは全く異なります。
そして現代ではブログや映像などもあり無限とも思える資料があります。

では資料が多ければ多いほどより正確に歴史を再構成できるのかと言えばそうでもありません。
中世の歴史では少ない資料から推測していきますが、現代の歴史では資料を自分の価値判断で捨てていく必要があります。
戦前に関する正しい歴史を巡って相も変らぬ下らない議論が続いているのを見ればしょせんは自分の価値判断でしか資料を取捨選択できないことが分かります。
結局拾い上げる資料の多さは実はいうとそれほど変わらないのかもしれません。
中世といえどそれなりの量の資料がありますし、人間が処理できる資料などたかが知れています。

私のイメージでは歴史という空間が過去から現代へと流れてきており、そこを埋めるものが現代では空間をすべて埋めてそこからすでに溢れてしまっています。
古代へ行くと空間を埋めるものはほとんどなくスカスカです。
そして中世あたりはほどほどに空間を埋めるものがあるのですが偏りが多くあります。
西欧中世でいえば一番文書を残したのは修道士たちなので偏りがどうしても出てしまいます。

中世の歴史の密度が私には一番心地良く自由な想像を掻き立ててくれます。
そして中世に関する資料で新しい発見があるたびに中世の歴史が書き換えられていくのです。
現代ではせいぜい公文書が公開されたり重要な人物の手記が公開されたりするぐらいで枝葉末節程度の歴史が書き換えられる程度です。

それにしても現代の濃密な情報空間は不思議な空間です。
ほとんどは意味があると思えない言説でもどこかで繋がってきちんとそれらが処理される情報空間が確立されていきます。
このような空間は日々拡大されていきますが、それはこれまでは孤立した個々の頭のなかにしか存在しなかったものです。
果たして1000年後の人たちは情報が溢れた現代をどのような時代として歴史を書くのでしょうか。
これほど情報を生み出す時代の歴史を描くのはかなり難しいことのように思えます。
あるいはもしかすると現代は未来で歴史を語るほどの時代ではないのかもしれません。
すでに同時代に個々人の言説で溢れています。
もう大きな物語が語られる時代はとっくの昔に終わっているのでしょう。
いや中世であっても個人の歴史しか存在しないのかもしれません。
中世では自らを語った言説があまり残っていないため、後世の人間が勝手に大きな物語を描いてきたのかもしれません。
もしかすると歴史のロマンはその時代の密度が薄いためにその隙間を埋めて大きな物語にしてしまうことにあるのでしょうか。
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[ 2015/04/18 17:00 ] 雑感 | TB(-) | CM(0)
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