人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

らいくむという名前

人の名前というのは不思議なものです。
名前は単に個別化するために付けられる記号です。
犬はポチと呼ばれてもそこに自分の存在を感じてはいないでしょう。
単に何らかの条件付けとなる一つの音としか思っていないのかもしれません。
しかし、何故か人は個人のアイデンティティを名前に読み取ります。

親は子供が生まれるときには名前に思いを込めます。
赤ん坊はまだ人格が形成されていません。
あたかも名前が親によって先に存在を与えられ、後に赤ん坊という実体に存在が移行していくことを願うようです。
子供は成長するにつれて自分の名前にアイデンティティを感じるようになります。
すると名前自体が一つの存在となります。
このことを子供が理解した時に人にあだ名をつけるようになるのでしょう。
それは侮蔑的であったり、愛情のあるものであったりしますが、あだ名という記号を使うことによって名付ける人が感じる相手のアイデンティティをあだ名に投入しようとします。
その人を指し示そうとしながらもその人から独立した存在ともいえます。
一人の人間は複数の名前を持つことによって複数の人格を持つことになります。

本来名前は一人の人を指し示すだけです。
しかし名前が独立性を強めると複数の人に受け継がれていくことがあります。
歌舞伎や落語家、職人、商家などでは名前を継いでいくことがあります。
この時名前が先にアイデンティティを持ち、継いだ人は名前と一致する実体を目指します。
こうなると単なる記号が実体以上に強力なアイデンティティを持っているように見えます。

天璋院篤姫が徳川家定に輿入れするとき、まず島津家の養女になり、次に近衛家の養女になってようやく輿入れをしました。
篤姫という実体は何ら変わりないにも関わらず、家臣の娘から外様大名、名門の公家と姓を変えるだけで将軍の正室になる資格が与えられるということです。
まさしく名前が実体以上にアイデンティティを持つということではないでしょうか。

また高貴な人の名前を呼んではいけないとか、単数でなく複数形で呼ぶなども世界共通で見られる習慣ですが、これなどもこのような例の一つかもしれません。

世界的に日本人は姓も名前もかなり種類が多いようです。
種類が多いということはそこにアイデンティティを強く感じるのではないでしょうか。
クラスに太郎が3割ぐらい占めていたら太郎は名前にアイデンティティを強く感じることが難しくなります。
同じ姓が多い田舎では屋号で呼ばれることがありますが、この場合は屋号のほうにアイデンティティを感じるのでしょうか。

中国の人は仕事用にマイケルなどという西欧名を持つことは一般的だと思います。
西欧人とのビジネスが多く、西欧人が中国語の名前を発音しにくいということはあるのでしょう。
しかし日本人にはかなり違和感があるのではないでしょうか。
私は自分の名前にアイデンティティを感じているので、他の名前、ましてや西欧名で呼ばれることにはとても抵抗があります。
西欧名は欧米人のアイデンティティを持つように感じるからです。
ちなみに日本企業にも社員の9割が外国人のために日本人が社内用に西欧の名前を持っているという会社があるそうです。
慣れたらどうということはないのかもしれません。
もしかすると名前の種類が少ない文化では名前の記号性が強く別名を持つことにこだわりが少ないのかもしれません。
中国や韓国は名前の種類が少ないですし、ヨーロッパでは聖人、イスラムでは正統カリフの名前であふれています。

また姓も文化によって持つ意味の強さが異なります。
私たちは姓を当たり前のように使っていますが、姓がない文化はいくらでもあります。

イスラムでは姓に当たる名前がないため姓は父親、祖父、息子、地名、部族名などになります。
アリーやムハンマドなど同じ名前が多いイスラム圏ではこれらがずらずらと並んでいきます。
歴史的に知られている人の名はほとんどその一部を切り出したり、あだ名だったりします。
例えばイスラムの大旅行家のイブン・バットゥータであれば鴨(バットゥータ)の息子(イブン)となります。
鳥のように飛んで世界各地を旅行したということでしょうか。
面白いことにこのように姓が厳密でないことからか、日本のように1000年ぐらい続く家というのは少ないそうです。
イスラム法の相続では遺産が分散されやすいこともあって累々と家を守っていくというのが難しいのだと思います。

子供が生まれたときには名前を自由に決められる文化やあるいは厳密に命名ルールが決まっている両極端があり面白いです。
文化人類学の本を読むとよく命名法に触れられています。
所属する集団や生まれた時期などでほとんど名前が決まってしまうような文化も当然ありますし、日本のようにほとんど自由な文化もあります。
面白いところでは母親の性格、例えば優しいなどという形容詞を名前にする文化があります。
性悪などという良くない名前を付ける文化もありますし、精霊が嫉妬しないように不細工などと名前を付ける文化もあります。
名前の持つ意味が強いから厳密な命名ルールがあったり、あるいは逆に命名ルールが形式的、法則的だからこそ記号性が強かったり色々なのでしょう。

現在はネット社会がリアルな社会と重なりつつももう一つの世界を構成しています。
ネットという仮想空間ではほとんどの人が本名ではなくハンドルネームを使っています。
いわばもう一つの人格が形成されます。
そしてネットでの書き込みが増えれば増えるほどそのアイデンティティ性は強化され、実体とは独立した意味を持ちます。
もし私が死んでしまい、だれかがらいくむといハンドル名でブログなどを書けばらいくむという人格は維持されます。
いや誰かが引き継がなくとも、自動で書き込むプログラムを用意してしまえばいいのです。


さて、最近私はブロガーのオフ会に誘われて初めてネットで知り合った人とリアルで会うという経験をしました。
私は長年ブロガーのオフ会では本名で呼ぶのか、ハンドルネームで呼ぶのかと疑問に思っていました。
ハンドルネームを使うのならもっと発音しやすい名前を考えておけばよかったかななどと思い参加してきました。
そしてオフ会に参加するとどうもハンドルネームを使うようでした。
私はらいくむという名前で自己紹介するときに恥ずかしくてかなり照れてしまいました。
心の中でらいくむって何やねんと突っ込んでしまいました。
私にはまだまだ相手をハンドルネームで呼ぶのも、自分が呼ばれるのも何とも言えない恥ずかしさがあります。

ハンドルネームを使うことによってオフ会ではリアルに会っているにももかかわらず、そこは仮想空間が混じりあります。
らいくむという仮想空間で流通する名前を使うことにより本来の私ではなくらいくむという人格で話をするわけです。
私はこれまでらいくむという名前はブログ主を示す単なる記号と感じていました。
そこに私という存在はそれほど投影されてはいませんでした。
らいくむと名前を実際に呼ばれることによって初めてらいくむという私と重なり合いつつも少し離れた存在としての実体が生まれたように思えます。
不思議なことにそこにいないブロガーの人をハンドルネームで呼ぶのは抵抗感がありません。
そもそもハンドルネームしか知らないというのもありますが、仮想空間そのものの話題だからでしょう。

このリアルに会っているにも関わらず仮想世界が入り込むという空間は私には不思議でなりませんでした。
しかしオフ会にも何度か参加すると自然と第三の空間として自分の中に位置づけられ確立されるのでしょう。
私がネットをするようになったのは二十歳を超えてからですが、今の子供は生まれたときからネットがあるので自然とリアルと仮想空間、リアルと仮想が重なる空間を受け入れているのかもしれません。
というよりはこれらの3つの空間を区別することなく統合した一つの世界と感じるのかもしれません。

らいくむという名前を考えたときはネット上で知り合った人と会うことは全く想定していませんでした。
これからハンドルネームを決める人は実際に会うことを想定して恥ずかしくない名前を付けたほうが良いと思います。
ちなみにらいくむはハンドルネームを考えるときに中々思いつかなくて、たまたまイスラムの本を読んでいたいのでイスラムに関する名前にしようと思ってつけたものです。
ムハンマドやアリーではあまりにイスラムの名前そのものだったので、何となくアラビア語の挨拶からとりました。
アラビア語でこんにちわはアッサラーム・アライクムでサラームはすぐにアラビア語とわかるので、アライクムからアラビア語と分からないようにライクムの部分を取りました。
アッサラームは平安で、アライクムはあなたの上にという意味です。
私はこのあなたの上に平安をという挨拶が好きなのです。
ヘブライ語でもこんにちわはシャロームといいこれもサラームと同じ語根で平和という意味です。
ユダヤ人の挨拶の習慣がアラブに入ってきたと考えられているそうです。

名前を付けるとは不思議な行為です。
人が名前を付けるとそれは何かを指し示すだけでなく思いが込められます。
そしてその思いが実体からは独立したものになることもあります。
名前を付けるという行為は世界を形成する行為です。
名前にどのような意味を込めるか、何に名前を付けるかは文化や個人によってことなります。
そして名前を付けたときから人は二つの世界で生き始めます。
すなわち主観と客観の世界に揺れ動くのではないでしょうか。
そしてそれを統合してしまいたいという誘惑と新たな世界を作りたいという誘惑に駆られることになるのです。

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[ 2014/07/05 14:40 ] 社会 | TB(0) | CM(0)
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