人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

この世界はニセモノだという感覚

中学生から20代後半ぐらいまででしょうか。
私はこの世界は実在しておらずニセモノの世界なのではないかとずっと感じていました。
別にそれが私にとって重大な問題ではなく単に実在を疑っていただけであって、例え実在していないニセモノの世界であってもそれはそれで問題がないと思っていました。
最近ではそういうことをあまり考えなくなりましたが、そんなことを考えているのは私だけなのだろうかと思っていました。
しかしやはり同じようなことを考えている人が世の中にはたくさんいるようだと気づいたのは大学生のころからです。

この世界がニセモノであるというのは二種類の考えがあります。
一つ目は世界自体は実在しているが、周りの人間は自分と同じ内面世界を持っていないのではないかという疑いです。

私は中学生ぐらいのころにこの考えに取りつかれていました。
家族や友人たちは本当に私と同じように考え悩んでいるのだろうか。
実はロボットや神様あるいは悪魔の操り人形なのではないか。
あるいは何らかの意図をもって演技をしているのではないだろうか。
周りの人間に対する私の反応を観察されていたり、心の中を覗かれているのではないのだろうか。
このような疑いを持っていました。
一方で私の実在は確信していて私の内面世界も自立した私の所有物だと感じていました。
意思を感じられる以上は自分はロボットでも神様の操り人形でもないと信じることができていました。

少し映画の意図とは異なりますが「トゥルーマン・ショー」はまさしくこのような世界を描いた作品です。
ネタバレになるので内容には触れませんが見ていない方はぜひ見て欲しい映画です。
phaさんや森岡正博も周りがロボットなのではないかと思っていたというようなことを述べています。

このような考えに取りつかれていたのは中学生のころだけで高校生のころには気にならなくなりました。
世界は自分一人のもので他人はあるインプットに対して反応する生き物だと思うようになったからです。
インプットに対して一定の法則でアウトプットする存在であればそれ以上でもそれ以下でもないと考えるようになりました。
その存在は脳の神経回路が返す反応であろうが、ロボットのプログラムが返す反応であろうが、神様や悪魔の意図による反応であろうが、私の存在を揺るがすようなランダムな、あるいは不条理な反応を返さない限り何ら問題はないという結論に至りました。

また同様にテレビに映る外国などの映像も本当に実在しているのだろうかと疑っていました。
本当は外国などというものは存在していなくて造られた映像なのではという疑いはかなり強いものでした。
これは外国へ何度か行き地球の多様な地域と民族の存在を自然と受け入れるようになり、テレビに映る映像はおそらく本当だろうと思うようになりました。
完全には疑いをぬぐい切れていませんが。

二つ目はこの世界そのものが実在していないのではないかという感覚です。
自分が持っているコップも実在していないし、自分自身も実在していないのではないのかという強い疑いを私は長い間持ち続けていました。

自分は夢を見ているのではないかという感覚は古今東西で見られるようです。
中でも有名なのは荘子の胡蝶の夢でしょう。
自分が夢で蝶になって飛んでいたが、果たして自分は蝶になった夢を見ていたのか、あるいは蝶が今人間になった夢を見ているのかというのもです。
西洋ではデカルトは方法序説で悪魔が自分に夢を見させているケースを考えています。
実験室で脳だけの存在に電気刺激を与えて世界を認識させているような思考実験もあります。
マウスの脳の神経回路に直接電気刺激を与える実験はまさしく夢を見させているのと同じです。
マウスは物理的なショックを受けていないのに受けたと思わされているのですから。

「マトリックス」では実在の世界では眠らされている人間の夢の世界が描かれています。
この映画の場合は本当の世界と夢の世界という二元的世界になっていて人間のほとんどは夢の世界で生きて本当の世界を知りません。
一部の目覚めた人間だけがニセモノの世界と本当の世界を認識できています。
この映画を見ていて不思議に思ったのは、なぜ主人公たちは本当の世界を取り戻す必要があるのかということです。
夢の世界で問題なく世界が形成されているのになぜそこから抜け出る必要があるでしょうか。
映画の中でも仲間の一人が裏切って夢の世界に留まることを望みます。
おそらく人間が持つ本当を知りたいという欲望の現れなのでしょう。
そしてこの世界の外に世界があるならそこに行きたいという本能があるのかもしれません。

夢を見ているということは夢を見ている実体が存在しているということです。
それがたとえ脳だけの存在であっても。
私が強い疑いを抱き続けていたのはこの実体が存在していないのではないかということです。
自分はコンピュータのプログラム上だけでの存在なのではないかと10年以上は思っていました。
私という実体はなくてコンピュータ上でプログラムが実行している間だけものを感じたり考えたりできる存在なのではないのかと。
そして神あるいは悪魔というのはこのコンピュータのプログラムを開発したり実行している存在なのではないかと考えていました。
そうするとあらゆる奇跡に矛盾は生じません。
無から世界という有が生まれたことにも矛盾はありません。
神様は実際に絶対的で全能の存在です。
人間は神様を崇めて神様の意図に沿うような生きるしかありません。

そしてまさしく私が考えていたことを小説にしてくれたのが鈴木光司のリングシリーズです。
ホラー小説であり自分の実在についてがテーマではないですが、私が考える世界のあり方をまさしく表現してくれる小説です。

30代になるまでは自分という存在がプログラム上の存在しでしかなく、対応する実体はどこにもないのではないかという疑問はなくなりませんでした。
しかし今ではほとんど気にならなくなっています。
まあ中学生のころにファミリーコンピュータなどでプログラム上の世界を知ってからずっと疑問を抱いてきたので飽きたというのが一番大きいです。
それに加えて無限に大きな世界、そして世界を超えた世界みたいなものを実感しなくなってきたからだと思います。
自分の周りの直接見聞きできる限定された世界の存在を実感として感じられることだけで十分で、その根拠となる実体は必要ないように思えるようになりました。
何だか結局デカルトのコギトみたいですが。
それに死んでしまえば死後の世界を信じない限りはどっちにしろ実体がなくなるのですから。

自分が抱いている疑問や悩みなんて自分以外の誰かも同じように持っています。
そしてそれを文章化したりあるいは映像化しようとする人が必ずいます。
自分ではうまくまとまらない考えを文章にしてくれる人がいて、その文章に出会えることは読書の幸せな瞬間の一つだと思います。
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[ 2014/03/01 15:18 ] 人生 | TB(0) | CM(8)
->周りの人間は自分と同じ内面世界を持っていない
->実はロボット
私も小学生の頃、同じ感覚を持ったことを憶えています。
神様が私のために作った人形かもしれないと・・・。
もちろん、私に悪いこともするが、それは私が成長するための試金石だと。

冷静に考えれば、天動説から地動説に移る過渡期に誰もが持つ感覚かもしれません。

しかし、自分の身体、自分の頭を通してしか世界を感じることができないのは今もって同じです。
だから、他人には世の中がどのように見えているのか今でも不思議です。

個人にとっては天動説の方が自然ですね。
[ 2014/03/01 16:06 ] [ 編集 ]
>なすびさん

やはり同じようなことを考えている人は多いのですね。

>他人には世の中がどのように見えているのか今でも不思議です。

同感です。
何とか他人の中に入ってどのように感じ、見えているのかを知りたいのですが。
例えば他人が見る赤色は私が見ている赤色と同じなのかかなり疑っています。

しかし自分とは別のところに視点を獲得したつもりでも、結局は自分の視点を通さざるを得ないのでしょうね。
[ 2014/03/02 00:51 ] [ 編集 ]
仏教で言うところの 「色即是空、空即是色」でしょうか。
[ 2014/03/03 09:43 ] [ 編集 ]
>ymさん

「色即是空、空即是色」は永遠を否定しつつも瞬間の実体は認める立場ではないかと思います。

私の場合はその実体そのものを疑いつつ、さらにその作為性を疑うという立場ですかね。
[ 2014/03/03 23:33 ] [ 編集 ]
そういえば私も小学生のころ同じ感覚を持っていた事を思い出しました。

今目の前にある世界は真実ではなく、何か映画でも見ているようで
「今までのはウソ」とホントの世界が現れる気がする。
と母親に話した記憶があります。その時母は微笑んでいました。

時間と空間(次元)を確立する成長過程にあったのでしょう。
死に対する概念もこの頃から始まった気がします。

亡き母との思いでを呼び起こしてていただきありがとうございました。
[ 2014/03/04 02:45 ] [ 編集 ]
>けんたろうさん

私も母親にしつこく同じようなことを訪ねた覚えがあります。
幼児から小学生、中学生へと成長するにつれて世界像は変わっていくのでしょう。
大人になる頃に固定されるのでしょうが、宗教にはまるような人は世界を変容させられるようなこともあるのでしょうね。

私の場合はコンピュータによる仮想世界という概念を知った時と構造主義の考え方を知った時に世界が変わったように思います。
[ 2014/03/05 00:34 ] [ 編集 ]
はじめまして
いろいろブログ読んでみました。独我論というか、自分自身の存在に興味があるようで、共感しながら読ませていただきました。中島義道は私も好きな哲学者の一人です。
よかったら、私のブログも見に来てください。
[ 2016/09/19 21:08 ] [ 編集 ]
>うーたんさん

はじめまして。

そうですね。独我論は特に興味があります。
他には時間論や脳神経科学と実在論との関係についてなどに興味があります。

ブログ興味深く読ませていただきました。
書かれているテーマをきちんと自分の問題とされていますね。
私自身は最近は少し突き放した感じでどう言語化できるのかなどと考えるようになってきています。
年を取ってきたからかもしれません。
[ 2016/09/20 00:15 ] [ 編集 ]
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