人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

年金と不確実性

少し前に金融庁が老後の生活には2000万円が不足していると指摘した報告書の問題で盛り上がっていました。
報告書の詳細は知りませんが、今の高齢者の資産額が2000万程度とすると取り崩し額はそんなものかなとも思います。

そしてお決まりのことですが、野党の政治家を中心に年金払えとか訳のわからないことで盛り上がったようです。
代議制民主主義とは政治家に専門的な役割を託しているものですが、どうして政治家は専門家としての役割を放棄してしまうのでしょうか。
あるいはそもそも最低限の知識も持ち合わせていないのでしょうか。

情けないのは年金払えとかいうデモまであったようです。
どうして社会的に不公平な制度の改善を求めるのではなく、とにかく金寄越せと言ってしまうのでしょうか。
これほど政府依存の人間がどうやって社会でやっていくのでしょうか。

多くの国民は年金が破たんするのではないか、思ったほどもらえないのではないかと不安を感じています。
厚労省の審議会の専門家はメディアが不安を煽るばかりで現状を正しく伝えていないと批判をします。
私は国民が不安に思っており、メディアのおもちゃになっている時点で現在の年金制度はダメだと思っています。

よく分からないから不安に思うのです。
よく分からないのは制度が複雑であったり、政策に左右されるからです。
同じ国民なのに公務員と会社員、自営業で制度が異なっているのもおかしなことですし、もらえる年金の計算は名目、実質、所得代替率などよく分からない言葉が並びます。
支給には繰り上げや繰り下げがあったり、働いている高齢者の減額がありますし、会社員の場合の会社負担分や専業主婦の特別扱いなどわけわかりません。
これでは不安にもなりますし、よく分からないから政府に年金寄越せというようになります。

経済活動は不確実なことばかりで、不確実性は経済活動に非効率や委縮をもたらします。
そのために明確なルールを決めたり、安定的な財政、金融政策が求められるわけです。
しかし、一方で不確実性は政治家や公務員にとっては利益と権力の源泉です。
不確実性は恣意性と表裏一体で政治家の力が大きくなるからです。

じゃあ、どうすればいいのでしょうか。
とても簡単で当たり前の結論ですが、確定拠出型にして、世代ごとに長生きリスクを負担すればよいだけです。
世代ごとに死亡率を計算して短命の人の余剰分を長命の人に年金を回せば問題ありません。
そうすると年金は自分の貯めた分がもらえて寿命による調整はありますが、不確実性などありません。
もちろん運用リスクが生じますが、それは自分でリスクを決めることができます。
さらに現在の年金制度にかかわる組織が効率化されることも馬鹿にならないのではないでしょうか。
年金に関連する職員たち、100年安心年金の検証や年金制度のあり方とかを延々と議論する会議や政治家の無駄な時間、メディアの記事などが必要なくなります。
必要なのは掛け金や税金の控除、寿命による金額調整の決定ぐらいです。
富裕層の負担を多くするか、年金額が少ない人の扱い、遺族の保険の役割などもありますが、平均的な人の支給に大きな影響はないでしょう。

個人的には年金制度は完全に一本化して、雇用者負担をなくしてその分を被雇用者の給料にする。
掛け金の割合は現在の雇用者負担と被雇用者負担の合計と同じぐらいにしておく。
最低掛け金を年40万にぐらいにする代わりに所得が少ない場合は国が負担する。
その代わりに現在の国の負担分をなくす。
年金資産額が多い人は年金資産額と年齢から計算して低年金者に対して一定額を負担する。
引き出しは年金資産額によって制限を設けて個人の年金資産が枯渇しないようにする。
ぱっと思いつく限りではこんな感じでしょうか。

国家が強制的に年金に加入させるのは自由に反するという考えもありますが、私は逆に国家が積極的にかかわるべきだと思います。
年金問題であれだけ盛り上がるように、少なくない国民が基本的な金融知識もなくほっておくと老後の生活が破たんする可能性があるからです。
高齢化社会で生活保護の老人が溢れてしまう可能性があることはそれこそ重大な不確実性です。

おそらく私が死ぬぐらいまでは不毛な年金の議論をし続けるのだと思います。
抜本的な改革は無理でしょうし、急に人口が増えたり、経済成長をする可能性も限りなく低いでしょう。
野党と一部の国民は金寄越せと言い続けながらも政府はこのままずるずると調整しながら繕い続けるとと思います。
それならそれで個人はそのような制度を前提としてライフプランを立てるしかありません。
自己責任という言葉がネガティブな使われ方をするようになってきましたが、自分で考えない人、自分で努力をしない人が報われることはありません。

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[ 2019/11/17 17:24 ] 社会 | TB(-) | CM(2)

2019年10月のお奨め本

2019年10月に読んだ本の中でお奨めのものを紹介します。

・経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く (牧野 邦昭)

太平洋戦争開戦前、陸軍は経済学者たちを集めて日本やアメリカ、イギリス、ドイツなどの戦争遂行に関わる国家の経済抗戦力の研究を行っていました。
経済学者たちは日本の戦争遂行能力をどのように評価しており、その報告書は日本の政策にどのような影響を与えたのかを、近年発見された調査報告書から辿っていきます。
そしてなぜ日本は無謀な戦争に突入してしまったのかを検討していきます。

秋丸機関による報告書は日本が戦争できるのはせいぜい2年ほどというものでした。
アメリカと日本の埋めようもない国力の差は当時の知識人にとっては常識的なものでしたし、それを公言しても弾圧されるものでもありませんでした。
軍内部でもそんなことは当たり前であったはずにもかかわらずなぜ日本はアメリカと戦争をしてしまったのでしょうか。

著者は行動経済学や社会心理学的な見方からその理由を紐解いています。
世論が戦争へと向かっていたことや軍内部の暴発などを恐れていたことなどを別にすれば、損失バイアスと強力な意思決定者の不在の影響が強く働いたのではないかと筆者は考えます。
日本が何もしないとじり貧に陥り確実に衰退するのなら、勝ち目は限りなく少なくても一か八かで戦争をしようという選択は比較的小さな損失を過大評価してしまう典型的な損失バイアスです。
このような場合ではドイツがソ連に勝利すればというような根拠のない希望を過大評価します。
また、強力な意思決定者がいないと過激な選択へと流されやすくなります。
当時の日本の内閣は権力を制限されており、軍部にしても官僚の集団であり、日本を導く強力な指導者は存在しませんでした。
比較としてナチスと親和的でありながら様子見の姿勢を崩さなかったスペインのフランコの独裁政権を上げています。

経済学者たちが当時、日本やそのほかの国の経済力や戦争遂行能力をどのように見ていたのかは非常に面白いですし、全体像としては現在の私たちの常識的な見方と変わらないことに驚きます。
それでも開戦してしまう過程と経済学者たちの報告がどのような影響を与えたのかとても興味深いです。




・不在の哲学 (中島 義道)

不在とはそこにあるのではないが想起できるような対象です。
地球の裏側に友人が出張で滞在していることを想起できますが、私の目の前にその光景が実在しているわけではありません。
私は30年前の高校の卒業式を想起できますが、これも現在のことではありません。

不在が問題になってくるのは人が言葉を学び、観念的な世界を受け入れ脱自己中心化し、さらに二次的に再度自己中心化するためだと著者は述べます。
普遍的な世界を知りながら、いま、ここにいる私の世界があり、そしてそれ以外の不在があり、さらにそれらの不在が私を生み出しているような世界です。

この不在という言葉から中島哲学を展開していきます。
時間論が私という同一性が中心ですが、まさにこれこそが不在を想起することによって成立する現象だからでしょう。
さらにはデカルトのコギト、自由論、決定論や心身問題へと展開していきます。

内容が難しいのでうまく説明できないのですが、世界認識の仕方としてかなり私にはしっくりくるものでした。
著者の思想が円熟味を迎えたのではないでしょうか。
内容は難しいのですが、他の難解な哲学書ほど何を言っているのか分からないということはないと思います。



・ハリー・オーガスト、15回目の人生 (クレア・ノース)

1919年に生まれたハリー・オーガストは1度目の人生を終えたとき、再び1919年に誕生します。
彼は6歳頃には前回の人生を全て思い出します。
それからハリーは死ぬたびに1919年に戻ってくるという無限の人生を歩みます。
何度も人生を繰り返すうちにハリーはクロノスクラブという同類たちの集まりや、同類のメッセージが過去や未来へ伝えることができることを知ります。
そしてハリーは未来の同類から人類の滅亡の時期が早まっていることを知らせるメッセージを受け取ります。

人生を何度も繰り返すというループものです。
けれどこの本はループものをベースとしながらも新しいスタイルで展開していく話です。
ループそのものをテーマにするとどうしても似たような話になると思いますが、本書はそこにとどまらないループの世界で発生する陰謀や野望とその阻止がストーリの軸になっています。

どんなループものなのかと思って手に取りましたが、期待を大きく上回るものでした。
著者は20代ですが、よくこんなものをかけるなと感心するばかりです。
16歳で小説家デビューした女性が別名で書いたものだそうです。



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[ 2019/11/09 17:04 ] 今月のお奨め本 | TB(-) | CM(0)
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