人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

自分だけが損してる

実験経済学だったかと思うんですが、プロジェクトに参加してもらって終了後に自分がどれだけ貢献したかと問う実験があります。
すると8割の人が自分は他のメンバーより貢献したと自己評価するそうです。
もしこれが会社だとするとおそらく2割ぐらいのメンバーにしか高評価が与えられないでしょう。
評価基準が年功序列から実力主義になるときに正当に評価されないという不満が出てくるのは当然の事と思います。
このようにほとんどの人は自分ばっかり損していると思っているのではないでしょうか。

自分が損しているという感覚は2種類あると思います。
一つは自分が正当に評価されていない。
もう一つは自分が本来受ける権利を他者に奪われているというものです。

自分が正当に評価されていないというケースの多くは実際評価に値しないということなのでしょう。
もちろん会社であれば社長がワンマンで評価基準が自分のお気に入りかどうかというようなことも多いと思います。
でもその場合は自分が採用する評価基準と実際に適用される評価基準のずれの問題です。
適用される評価基準に自分で合わせるか、自分の評価基準と合う会社に転職すればいいだけです。
自営業であれば評価のずれの問題は起きません。

自分が評価されないと考えるタイプにはその代償を求めて自分が所属するものへ自己を拡大するケースがあります。
一流大学出身だけれど現在の自分が評価されていないことで学歴への評価を求めるようなケースです。
あるいは右翼系のように日本に自己を投影して日本のすごさを主張したり、他国をさげすむケースもあります。
このあたりはルサンチマンが原因となっているのでなかなか解消しがたいものがあります。

もう一つの自分が本来受ける権利を他者に奪われているというものは困難な問題を抱えています。
損している自分と得している他者という分断が起こるからです。

非正規社員が正規社員と同等の責任の仕事をしている場合でも待遇が低いとされてます。
これは雇用制度に守られた身分制度であり他者に権利を奪われていると言ってよいと思います。
労働組合や厚生労働省は断固としてこの身分制度を維持しようとしています。
自分たちが不当に利益を得ているのですから当たり前の話でそう簡単には既得権益を崩すことはできません。
奴隷は奴隷のままでいろと言っているようなものです。

ところで正規社員や公務員への身分的特権に対して頑張って勉強してきたのだから当たり前だという言い方を目にします。
市場主義では直近の仕事の実績から期待される成果に報酬が与えられるのに、1回の入社試験などで特権的身分を得られるという発想が不思議です。
またキャリアを除いて公務員試験のような高校生レベルのしょぼい試験を通ったぐらいで身分保障しなきゃいけないのはおかしなことですし、正規か非正規なんてその時の社会的、個人的環境にも左右されます。

アメリカ大統領選やブレグジットなどで見られたように、自分たちの仕事や富を移民が奪っているというような場合だと社会の分断はより大きくなります。
移民の貢献も大きいはずですし、おそらく社会全体として得られる利益としては移民を受け入れたほうが大きいことが多いでしょう。
しかし社会の変容により不利益を被る階層は必ず出てきますし、肌の色などのような目につく存在は責任転嫁の対象とされやすいものです。

このような問題は独立した個人が参加する市場や国家が成立するまでは解決されないのでしょう。
得られる利益は市場に参加した結果によるものであり、その人の属性ではないことが当たり前となる時代はあとどのぐらいでやってくるのでしょう。
現在は正規雇用という身分保障や国籍、人種による特権的な利益の要求が当然と考える人が多数派のようです。

さて私も自分だけが損していると考えがちです。
しかし当然そんなことはあるはずがなく日本人という特権的な身分を持っていますし、結果的にリタイアできるだけの資産も築けました。
トータルでは自分は得しているはずです。
少なくとも生活に困っているわけではない人にはそのようなルサンチマンを抱える権利なんてないと思っています。
そのようなルサンチマンを抱えた瞬間に現在を変えようとする努力よりは、他者への非難だけで自分で何とかしようとしない停滞があるだけです。
もちろん自分のルサンチマンからではなく、肥大化する政府や反市場主義、反自由主義的な政府への非難などはよいと思いますが。

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[ 2017/08/19 19:01 ] 社会 | TB(-) | CM(4)

残された人生の時間は長いのか、短いのか

先日同い年の友人が会社で定年後の人生計画というようなセミナーに出席したそうです。
まだ定年まで時間がだいぶあるように思うのですが、早くもそのようなセミナーがあるとはびっくりです。
もしかすると暗に定年前に辞めろというサインを出しているのでしょうか。

セミナーでは定年後に残された人生の時間について話があったそうです。
定年後に残された人生はこれほど短いのかという反応があったのだろうと私は思いました。
健康寿命を考えると残された時間は本当に短いです。

ところが友人を含めた周りの反応はそんなに残された時間があるのか、
いったい何をして過ごせばいいんだろうかというような反応だったそうです。
趣味とかを見つけないとという感じでした。
友人はこれをきっかけにトレッキングを始めたいと言っています。
百名山を制覇するなどの目標を立てると一生の趣味になるのではとのことです。

長い人生を何をして過ごしていいか分からないという人はアーリーリタイアなんて考えられないのでしょう。
でもそれはそれで働くことに生きがいを感じて人生を歩めばいいだけのことです。
それもとても良い人生だと思います。

70歳まで現役の社会になるように政府は頑張っています。
財政が持たないのでそうせざるを得ないのですが、高齢でも働きたい人は働けるというのはいいことだと思います。
やることがないと言って家にいるよりはよっぽど健全です。
ただし若者を排除するような制度による身分保障ではなく、市場の価値に即した雇用が前提でないと困りますが。

私のようなアーリーリタイア志向の人は残された時間は足りないと感じていると思います。
私も残りの人生の時間を考えると短すぎて悲しくなります。
読みたい本はたかだか40年ほどでは読み切れないだろうし、huluのドラマ、アニメだけでも相当見たいものがあります。
最近北海道に旅行し、再び旅行をしたいなと思うようにもなっています。
いやただ単に毎日のんびり暮らしてちょっと美味しいものを食べてという平凡な日常でも飽きないです。

普通に会社に勤めて子供を育ててという人は人生の主目的は仕事と子育てになるのかもしれません。
もしそうだとすると教育を受けている準備期間と仕事と子育てという人生の主要な時間が終われば、やはり余りの時間となってしまうのでしょう。
人生の各ステージでそれぞれ生きる意味が違うのだろうなと思います。
意味が違うということは人生の強度みたいなものが異なるのでしょう。
余りの時間は子育てなどの外部からの強制による人生の意味付けというものがありません。
自分自身で生きる意味を見つけ出すというのは年を取ってからでは難しいのかもしれません。

私の場合は親に依存する子供の時と自立した大人の時の違いしかありません。
そしてそれはずっと自分の為だけの人生であり、人生の意味が仕事や家庭といった何らかの外部のものに影響されることはありませんでした。
人生に区切りがなくずっと同じ人生が続く感じです。
同じ時間が続いてもそれが当たり前と思っていたし、それが楽しいと思えるのでできるだけ長く人生が続いて欲しいと思えます。

時間というものは絶対的なものではなく相対的なものだとは思いますが、同い年でも残された時間の感覚は全く異なるものですね。
私のようなセミリタイア状態の人と会社員では1日、1月、1年の時間感覚も全く異なるのでしょう。

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[ 2017/08/12 12:47 ] アーリーリタイア | TB(-) | CM(7)
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