人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

アーリーリタイアに向けられる否定的な言葉

リタイアしてから色々な人にリタイアしたと言いました。
6割がそれほど興味なし、3割が結構食いつく、残りが否定的な反応という感じです。

常々不思議に思うのですが、他人の生き方に対して支持したり反対したりする人の気持ちがよく分かりません。
自分が望んでいるような生活をしているとか、自分の生き方に似ていると感じるところまでの反応は分かります。
しかし、他人の生き方は他者が支持したり、ましてや否定するような類のものとは思えません。

さてリタイアに対する典型的な否定的な反応は「仕事しないで何をしているの、やることもなしに無為に時間を過ごしてどうするの」というものです。
これこそ人の勝手としか言いようしかないことです。
私はこういわれたときに答えるのは大体こんな感じです。

あなたは限られた人生の残り時間と引き換えにしてもいいほど自分にとって素晴らしい仕事をしているんだと思う。
私は有限な人生と引き換えにしていいほどの仕事に恵まれなかったのであなたが羨ましい。
でも死ぬまでに仕事以外でやりきれないだけのにやりたいことがあるから心配しなくても大丈夫だし、リタイアして明らかに人生の充実度、幸福度が上がっている。

次に言われるのは「日本社会で生活している以上は一定年齢に達するまでは仕事をして社会に貢献するべきだ」というものです。
これはなかなか説得力のある言葉です。
社会の恩恵を受けている以上は貢献もしなければならないのは当たり前かもしれません。
私は次のように答えています。

私は自由主義と市場主義こそが、他人からの抑圧を失くしてきたし、豊かさを達成してきたと考えている。
社会は個人のためにあるのであって、それがうまく機能するためのルールが市場主義だと思う。
無条件で働けというのは自由主義と市場主義に反している発想だし、個人は社会のためにあるとして他人への抑圧につながるのではないか。
自分の好きなタイミングで市場から対価を得て、好きなタイミングで市場を通じて対価を支払うというのがリタイア者の発想であって、それが市場を通じて社会に貢献し、リタイアという恩恵を受けるということではないか。
無条件に社会に貢献しろという発想では現在のような自由で豊かな社会は実現できなかったはずだ。
他人から盗んだり、親からの相続でもなくきちんと働いたり資産運用で稼いだ金でリタイアするのは何の問題もなく、もっと社会に貢献しろという言われる筋合いもない。
それを言い出すと仕事する期間から職種まですべてが問われることになる。
例えば東大を出て芸人を目指すのは社会に貢献していないので官僚になったり大企業で高付加価値な仕事をしなければいけないということになる。


人は自分の生き方や考え方と異なる人を否定しがちです。
そして否定の方法として社会という曖昧なものを持ち出し、自分の正当性を取り繕います。
おそらく個人と社会との線引きができないのでしょう。
自分の存在そのものを社会とを混同してしまっているのではないでしょうか。
しかも自分の考えを投影する形で社会を妄想してしまっています。
右翼的な人が無条件に自分と社会、日本とを同一化できるのと同じです。
しかし現代社会の個人が求められているのはそのような曖昧な存在の社会との安易な同一化ではなく、自由な個人、市場主義と公正なルールといった現代社会を支えるインフラの役目を果たしているものへの理解と支持なのではないかと思います。
そういうことを理解している人は社会的ルールを守っている他人の生き方にとやかく言うことはないでしょう。
そして現在ではそういう考え方の人の割合がかなりを占めてきているのではと思います。
実際に私に否定的なことを言った人はほとんどが古い発想の中年以上が多かったです。

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[ 2017/03/25 12:37 ] アーリーリタイア | TB(-) | CM(12)

正月の朝日新聞を読んで

私の実家は朝日新聞を購読しているので帰省すると朝日新聞を読みます。
そして毎日10分もせずに読み終わってしまいます。
読もうと思うところがないのです。
親に読むところがないだろうと聞くと、新聞を読む安心感とチラシのために購読していると言います。
新聞の内容そのものはつまらないと言います。

私が高校の頃は新聞を毎日丹念に読んでいました。
その頃と比べて新聞の質が落ちたのか、私が少しは賢くなったのかどっちなのでしょうか。
当時は日経新聞も購読しており、当時から経済好きだった私には日経新聞のほうが面白かったです。

ところで正月の朝日新聞に経済成長は必要なのかという問いかけの記事が載っていました。
この記事を読んだときに記事のレベルの低さに少し驚きました。
私のように単なる暇つぶしで書いているのではなく、それなりの訓練と経験を積んで高い報酬をもらう人が書く文章がこの程度でしかも編集委員とは驚きました。
記者の主張の本質的な部分は特に否定するものではありません。
しかしいかんせん、言葉の定義がはっきりしない、議論が飛び過ぎてしかも記者が前提としている話に疑問が多い、結局言いたいことがよく分からなくて、読み手がかなりの推測を強いられます。
ネット上の記事のような色んな知識を寄せ集めてみましたというような仕上がりになっています。
そして色んなよけない思いを入れることによって記者がおそらく主張したこととは別の話になっており、読み手もそのように受け取るのだろうと思います。

大手新聞やテレビがマスゴミなどと言われたり、朝日脳などと馬鹿にされることが多くなりました。
まあマスゴミというような人は大抵新聞よりひどいネット上の話題を知識に源泉にしてしまっていることがほとんどでしょうが。
しかしマスを対象にしたメディアであれば対象に合わせた内容になることは当たり前です。
メディアが生まれた当初から変わらないと思います。
主義主張は別にして新聞に質を求めるのは難しいのだと思います。
読者が情緒的な記事を求めるなら記事もその方向に傾きます。
なのでそれなりに勉強する人なら大学生ぐらいになると新聞は読み飛ばすものになると思います。
社会で起こっていることを大雑把にはつかんでおくために読むぐらいでしょう。
民放よりはましと思われるNHKのニュースやNHKスペシャルなども大学生ぐらいになると見る気をなくすのではないでしょうか。
私も20年ほどNHKスペシャルなどを見ていないので今のNHKの番組の質は分かりませんが。

ネット社会になり新聞のような幅広いニュースを扱い日々の出来事に論評してくれる質の高いサイトができないかなと期待しましたが今のところないようです。
アゴラには期待しましたが正直期待外れでした。
しかしネットは無数の記事があるため読む価値のある記事も多くあるはずです。
キュレーションサイトというのがありますが、質で絞った記事を時系列、分野別で集めてくれたらいいのになあと思います。

結局質の良い記事を読むためには読者層を絞ったメディアになります。
質がよいということは読者にもある程度知識や思考能力を求めるので大抵の人は読まないでしょう。
そうなるとビジネスとしては難しくなります。
日々の情報を伝える類のメディアで質を伴うのは構造的に難しいのでしょう。
なので私は社会でリアルタイムで起きていることにはほとんど興味がないのかもしれません。

日本人の知的レベルが全体的に上がれば新聞などのメディア質も上がるのだろうと思います。
しかし原発から働き方、格差、地方などといった問題で情緒的な議論が最優先される風潮はこれからも変わらないだろうし、本をますます読まない傾向も増している中でそれは難しいでしょう。
知識の総和レベルではこれからも人類は成長していくのでしょうが、個々人の平均的な知的レベルの向上はすでに生物学的、社会学的な限界に来たのではないのかなと密かに思っています。

ところで経済成長についてですが、
私は経済成長をことさら目標に掲げる必要はないという考えです。
政府や日銀の役割は経済成長というよりは経済が激しく変動しないようにすることだと思っています。
大事なのは世の中にある無数の課題を市場を通じて解決させる仕組みを用意しておくことではないでしょうか。
そうすると競争を通じて課題が少しずつ解決され、その結果として経済成長もついて来るのだろうと思います。

しかし政府としては経済成長を主軸に置きたいのは分かります。
GDP比に占める割合がとてつもない日本の借金のことがあるからです。
経済規模が大きくならないことには借金の負担が大きくのしかかることになります。
リフレ派の主張の一つにリフレによる成長で名目GDP比で借金が小さくなるということがありました。
しかし経済はそんな簡単にコントロールできるものではなく借金のツケはどういう形であれ誰かが負うことになります。

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[ 2017/03/18 12:01 ] 社会 | TB(0) | CM(2)
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