人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

2015年1月のお奨め本

2015年1月に読んだ本の中でお奨めのものを紹介します。

・厭魅の如き憑くもの (三津田 信三)

カカシ様への信仰が残る一方で厭魅の存在に恐れる神々櫛村。
神々櫛村では憑きもの筋である谺呀治家は黒の家とされ差別を受けつつも村で一番の地主として力を持ち、一方で白の家とされる神櫛家は谺呀治家に次ぐ地主として対立関係にあります。
紗霧は谺呀治家に生まれ巫女である祖母とともに憑座(霊を受け入れ入る役割)として憑き物祓いをしています。
やがて紗霧の周りでカカシ様の祟りのようにも見える連続殺人事件が起こります。
刀城言耶は紗霧の幼馴染で村の因習を嫌う神櫛家の漣三郎とともに事件の真相に迫ります。
各章で刀城言耶の取材ノート、紗霧の日記、漣三郎の記述録が入れ替わり物語が進んでいきます。

神々櫛村のカカシ様信仰がこれでもかと濃く深く語られます。
このような怖さを楽しめる舞台設定はやはり昭和初期しかありません。
現代の合理主義が農村にも侵入しつつもまだ村人が怪奇を恐れ因習に従っているところでこそ怖さがよりリアルになるのだと思います。
本書の半分は殺人事件というよりは神々櫛村の怪異、憑きもの、蛇神信仰、神隠しの歴史が語られます。
ここに殺人事件が結びついたときは得体のしれない恐怖が生まれ、そしてまさに憑きものが落ちるような感覚になります。

最後の謎解きがばたばたとしていてどうかなという印象が残ってしまいました。
ためにためたわりには急展開すぎました。
しかしある仕掛けにあっと驚かされ、まさに何とも言えない気味の悪さを残してくれます。
この仕掛けを考えついたのは脱帽です。



・心を生みだす遺伝子 (ゲアリー・マーカス)

遺伝子が人の体や脳にどのような影響を与えているかを分かり易く解説してくれます。
タイトルとは内容がずれていると思います。
心そのものと遺伝子の関係ではなく、遺伝子と環境がひとにどのように影響を与えるのかという本です。

ゲノムを地図のように考えたり、1つの遺伝子を病気や頭の良さなどと結び付けてしまうような人はまだまだいると思います。
しかし著者の言葉を借りると遺伝子は単なる大まかなレシピであってひとのあらゆる運命を決めるものではありません。
かと言って大まかなレシピと言えどそのレシピから全く違うものにはなりません。
結局、遺伝子が用意した大雑把な仕組みが環境と相互作用していくことになります。
クローン人間を考えると分かり易いでしょう。
クローン人間は同じ人間ができるわけではありません。
遺伝子が全く同じであっても最初に与えられるレシピが同じだけであり、一卵性双生児と変わりません。
似てはいても別人です。

内容自体は平易で遺伝子や分子生物学の本をよく読んでいる人にとっては基本的なことしか書かれていないので物足りないかもしれません。
私も物足りなく感じましたが、遺伝子にまつわる生得と学習の問題や遺伝子の果たす役割が非常にうまく書かれており今一度知識や考え方の整理ができると思います。




・偽りの街 (フィリップ カー)

ナチス政権下のベルリン。
失踪人、特に突然消え去るユダヤ人を探す探偵のグンターに鉄鋼王からの依頼が舞い込みます。
鉄鋼王の依頼で殺害された娘夫婦が所有していた首飾りを探し出すグンターでしたが、事件はもっと大きな真相を見せ始めます。

ナチス政権下のベルリンというハードボイルドにぴったりな街が舞台です。
ユダヤ人への迫害が激しくなり、ゲシュタポが強大な権力を振るっています。
一方ではヒトラーの無理な政策に矛盾が見え隠れもしつつあります。
このような独裁による恐怖や閉塞感が支配する街でタフな探偵はハードボイルド好きにはたまらない設定でしょう。

推理小説ではなくハードボイルドなので真相自体は特別驚くようなことではなく、ニヒルでタフな探偵が閉塞感満載のベルリンで危険な真実に近づいていくさまを楽しむ小説です。
好き嫌いが分かれるかもしれませんが、古典的なハードボイルドが好きな人におすすめです。



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[ 2015/02/15 11:56 ] 今月のお奨め本 | TB(0) | CM(0)

自己責任論のくだらなさ

シリアでの人質事件が残念な結末となりました。
解決するまでは何かを述べることは気が引けたのですが、結末を迎えたので少し感じたことを書いておこうと思います。

このような事件が起きると自己責任論を述べる言説が少なからずみられます。
起業の失敗、貧困や山や海での遭難などでもよく言われます。
私もアーリーリタイア後に突発的な事態が起きてお金に困ることがあれば自己責任だと責められるのかもしれません。

毎回思うのですが自己責任だと責め立てることによって何を求めているのか分かりません。
何らかの苦境に陥っている人を責め立てることに喜びを見出しているのでしょうか。
自己責任だから一切助ける必要などないということでしょうか。
自己責任だから社会のリソースを使うなということでしょうか。

ただ責め立てるネタを探し続けているようなタイプを除くと自己責任論には2種類あるように思います。

一つは真面目に努力している自分と努力していない他人に分けるタイプです。
例えば貧困を自己責任とするようなケースです。
貧困は自己責任なのだから生活保護などで援助するのは反対だというようなことはよく聞きます。
自分はきちんと努力と苦労をして生活をしているのにそうでない人間が社会から援助を受けることは許せないという意識があります。
真面目な自分のほうが損をしているという意識は大抵の人が持っています。
仕事をチームで行った時にほぼ全員が自分が他の人より多く仕事することになり損したと感じるという心理学の実験結果があります。

もう一つは社会常識などからはみ出さない自分と常識を乗り越えてしまう他人とに分けるタイプです。
世の中には社会的な常識など意に介しなかったり、もっと重要な何かのために行動したり、危険な挑戦を行う人がいます。
戦争ジャーナリストや登山家、起業家、歌手などはそれぞれ大きなリスクを背負います。
危険なことをする場合は命にもかかわります。
このような自分には出来ないことをする人が何らかの失敗をして苦境に陥ると自己責任だという人がいます。
ロックミュージシャンを目指していたが夢破れてワーキングプアになった甥をほらみろ自己責任だというようなおじさんとかでしょうか。
特に日本や政府と一体化するような人たちは今回のように政府の警告を無視したような行動をとった時には激しい怒りをぶつけます。
日本や政府という従うべき存在を無視したにも関わらず助けを求めざるを得ないという事実に怒り、そして嘲笑したいのでしょう。

私はこのような自己責任論に何の意味があるのか疑問に思います。
自分ができることをできない人に対して馬鹿にするか、自分ができないことをできる人の失敗に対して嘲笑する意味しかないように思えます。
そしてそこには現在そのような苦境に陥っていない人間が苦境に陥っている人を責め立てるという下劣さしか感じません。

自己責任を持ち出しても意味がないのはそれは自明なことであって持ち出す必要もないことだと思うからです。
登山で遭難するのも、豊かな暮らしができないのも、家が災害に合うのも、過労死もすべては自己責任です。
少なくとも大人は選択する自由を与えられています。
選択をした以上は自分で全ての結果を引き受けなければなりません。

ではすべては自己責任だから何の支援も必要ないかと言えばもちろんそうではありません。
政府や社会はできうるあらゆる支援をする必要があり、そのために政府や社会が存在しているはずです。
労働環境を良くしたり、セーフティーネットを整える努力をするのは当然のことです。
しかし政府や社会ができることは当然限られています。
貧困層を全て中流層の生活に引き上げるのは不可能でしょうし、山で遭難したからといって全国の自衛隊員すべてを救援活動に使うのも不可能です。

今回の人質事件でも自己責任とは関係なく政府としてできることをするのは当然だったと思います。
もちろんそこには色々な制限があるはずです。
テロリストの交渉方法や他国との外交関係が制限になったでしょうし、そもそもイスラム国との交渉能力がなかったのかもしれません。
それは仕方のないことです。

責め立てるのを目的にしたような下らない自己責任論を目にするとやはり人は他人を嘲笑したり、他人の苦境を楽しみたいものなのだなと思ってしまいます。
私にもそういう気持ちがないとは言いません。
行きつけの喫茶店で週刊現代などで下衆な記事を読んで楽しんでいる自分がいます。
それでも社会としてもう少し懐の深さがあってもいいのではないかと思います。
挑戦する人たちが社会の多様性や進歩に大きな貢献をしているはずですし、うまくいかない人生でも助けを差し伸べられる社会には安心感があります。

学生時代に1か月ほどシリアを旅行した時はいい思い出ばかりでした。
早く平和な国になることを願うばかりです。

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[ 2015/02/07 11:48 ] 社会 | TB(0) | CM(10)
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