人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

あまりにも想定通りに進むアベノミクス

経済予測というのは非常に難しいもので中々当たりません。
経済に影響を与える条件が無数にあり、その時々によってどのような要因が重要であるか変化するからです。
便宜的に直近の条件から想定して経済を予測することになりますが、大抵予想外のことが起こり経済に影響を与えます。
経済学者やエコノミストが予測を外すのは当たり前のことですし、当たったところで予測した理由とは全く別のことが重要であることも多いものです。
予測を外したエコノミストを馬鹿にする人がいますが、プロ野球の順位予測のように条件が限られたものでも当たらないのに経済全体の予測など簡単に当たるはずもありません。

しかしアベノミクスの予測についてはオーソドックスな考え方の経済学者やエコノミストが予測した通りに進んでいるように思えます。

ベースマネーを無理やり増やしたところでストックはそれほど積み上がらない。
実質利率が少々下がったところで現在の日本の状況では投資がそれほど増えることはない。
円安方向へのきっかけとなり、輸出企業の業績改善は進むだろうが、当然その他の企業は円安にダメージを受ける。
円安によるコストプッシュインフレはそれなりに起こるにしてもインフレがそれほどは進まないだろうし2%を2年で達成するは難しいだろう。
財政出動はGDPを押し上げるだろうが一過性であるし、さらなる財政悪化となる。
インフレが進んだ場合に賃金の上昇はそれに追いつくことはない。
国債市場が機能不全に陥り、実質的な財政ファイナンスに見られかねない。
結局頼みは財政出動とアメリカ経済の回復となるが、肝心の潜在成長率は中々上がらないだろう。

ほぼ当たったと言ってよいでしょう。
想定外だったのは輸出がここまで伸び悩んでしまったこと、供給制約が出てきたことぐらいではないでしょうか。
7-9月期のGDPは数字ほどは悪くないにしても、やはりこれまで全体としてはそれほど経済成長しておらず、為替の変化などによる国内での富の移転が起きているだけかもしれません。
アベノミクスをしなくても結果はほとんど変わらず、ただ日銀のバランスシートを危険なほど膨らましただけかもしれません。

私はアベノミクスは愚かな政策だという考えは変わっていません。
しかし円安、株高へ動くきっかけとはなったでしょうし、何より雰囲気が一変したことだけは評価に値すると思っています。
このときに一気に社会保障改革や労働市場改革などを進めてほしかったのですが、第三の矢が放たれることはありませんでした。
そして黒田バズーカによる気合もそろそろ限界が来ています。
黒田さんのサプライズと言いますが無茶なことをするからサプライズなのです。
気付けば増税もできず歳出のカットもできず借金を重ね国債市場を破壊し、株まで日銀が大量に買っています。
もう出口戦略どころか緩和縮小を口にすることもできないでしょう。

バブル崩壊後から莫大な借金を積み重ね財政出動をして、日銀も緩和政策に突き進みました。
しかし効果があったとはとても言えません。
それでもまだまだ投入量が足りないとばかりに無茶な緩和政策と財政出動を繰り返してきた結果が現在の状況です。
あと100万円を投資すれば勝てると言っているギャンブラーと変わりません。
残っているのはこれまで手を付けてこなかった社会保障の抜本改革などしかないのですが、何故かいまだに本気で取り組むことはないようです。

効果的な経済政策を実行するのは難しいことです。
しかし金融政策は経済システムの安定のためであってそれだけで経済成長するものではないことがはっきりしています。
経済成長するには人口の増加、生産性の向上、イノベーションによる新規市場の開拓しかありません。
そろそろばら撒きと壮大な夢物語ばかりに頼らないで、地道に痛みを受け入れつつ改革を進めてほしいものです。

それにしても次の選挙ではいったい誰に投票すればよいのでしょうか。
私には政策を支持できる政党がないので毎回まともそうな若手に投票しているのですが、今回も選ぶのが難しそうです。

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[ 2014/11/29 18:01 ] 社会 | TB(0) | CM(10)

共感力

最近ブログやニュースの中で共感できる、できないという言葉をよく見かけます。
どうにも物事の判断が理性よりは共感が軸になっているように思います。
そのため言説で理性ではなく感情に訴えかけるものが多くなっています。

共感が強調されると個人の生き方や思想という他人が立ち入るべきでないところまで侵入してきます。
生き方を支持するという言葉がありますが、支持しないということは他人の自由な選択を否定することになります。
本来は生き方というのは支持するしないの対象になるものではありません。
共感というのは人を白か黒かに分けてしまう排他的な性質を持つのではないかと思います。
人や集団の多様性を否定していくものではないでしょうか。

震災に関して絆や母親、子供というキーワードがよく使われ人の情動に訴えかけます。
このような言葉は共感することを強要していて相手に反論を許すことはありません。
経済政策では低所得者や非正規労働者といった言葉が繰り返し使われます。
現在では多くの人が自分のことを経済的に恵まれていないとみなしているために共感を得やすいのでしょう。
ネガティブな共感としては嫌韓や嫌中などの言葉で共感を求めて集団を形成するようなネット右翼がいます。

私には共感する力が欠けているように思えます。
人の生き方を面白いと思っても共感することはありません。
震災が起きても被災者の気持ちに共感することもありません。
もちろん誰かの人生に勇気づけられるなんてこともありません。
アーリーリタイアを目指してはいますが、同じように目指す人に共感を持つことはありません。
あくまでその人を面白いと思ったり参考になるような情報を得るだけです。

他人がどう感じているか考えるなんて不可能だと思っています。
それぞれが個別的な人生を歩み、個別的な状況にいるのにそこに共感を持とうとしても自分という存在とあまりに距離があります。
自分の気持ちを分かってほしいという人はどうして自分の気持ちが他人に共感されることがありうると思えるのでしょうか。
大変な体験をした私の気持ちはあなたには分からないという人は恐らく共感を強要しているか、そこに自分の優位性を見出しているのでしょう。

私が他人の存在にあまり興味を持っていないということがあるのかもしれません。
結婚生活は絶対無理というのも我ながらうなずけます。

しかし日常の生活では共感がある程度意味があるものだとしても、社会的な言説に共感なんて必要なのかと思います。
経済政策で弱者や低所得者というとき感情に訴えかける言葉を使うと理性は後ろに追いやられてしまいます。
ある政策が実際にはどのような効果を持つかということを吟味することは後回しになります。
震災の復興を謳って闇雲に原状復帰をしても仕方がなく投資効果のない復興は無駄と思いますが、被災者支援というお題目に抵抗することは難しいでしょう。

SNSをはじめとするネット社会では感情が増幅される傾向が強くなると思います。
共感により狭い世界でシングルイシューでの仲間意識を醸成します。
ネット右翼はやはりネットが普及したからこそ出てきた存在でしょう。
ネット社会が多様性を促進する一方で共感による対立軸で単一性へと向かう動きが強くなっているのではないでしょうか。
そして狭いネットの世界だけでなくリアルな世界でも同様の傾向がみられるようになってきたように思います。
せっかく多様性が認められやすくなり個人の生き方に広がりが出てきたというのに、新しい生き方への共感を求めて古い生き方を揶揄するような言説が出てくるのも残念なことです。

人の感情など意に介さず事実にだけ根拠を求めようとする冷たい理性をもっと大切にしてもいいと思います。

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[ 2014/11/22 16:49 ] 雑感 | TB(0) | CM(3)
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