人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

働かざる者食うべからず

働かざる者食うべからずという言葉があります。
おそらくこの言葉は一般的に受け入れられていることと思います。

人間は生物であり外界からエネルギーを取り入れないと生存できません。
食料を確保し、料理して食べることは生存そのものです。
これは働くということであり根源的には生存と同一です。
なので働くことを拒否するのは生存を拒否することになります。

しかしある程度社会が発展して分業が進んでくると生存に必要な作業と労働は分離します。
元々は食料を確保するための作業はすべて労働ですが、現代社会ではスーパーに買い物に行くことは労働と見なされることは少ないです。
夫や子供の世話としての主婦業やヘルパーが労働とみなされるのは社会/他者のための作業だからです。
労働が嫌いだから社会の余剰分をよこせという人もスーパーへ買い物に行くのも料理するのも労働だから私以外の誰かがすべきだという人は少ないでしょう。
労働が生存のための作業から社会のための作業となり、その対価を使って生活するようになるのです。
しかしこれは社会が複雑化して生きるための作業が分業により複雑化しているだけです。

このように働くということは自分の生存を確保することです。
本来生物として自ら行うべきという感覚があるから働かざる者食うべからずという言葉は受け入れられやすいのでしょう。

一方で働かなくても食べていいと社会にみなされるものもいます。
動物でも大抵の赤ちゃんは働かずに親や仲間に育てられます。
では働かなくてもいいものはどうやって決まるのでしょうか。

それは社会の生産の余剰の大きさによって決まるのではないでしょうか。
そこから働かなくてよい人の人数が決まり、社会の価値による優先度で割り振られていくのだと思います。
決して弱者の意味を問うたり働くことの意味を問うて決まるのではないと思います。
社会で許容できる範囲が決まりそれに合わせた道徳的価値観が形成される側面が大きいのです。
道徳的価値の変化も影響を及ぼしはしますが、社会的余剰の制限下にあるのではないでしょうか。
そうでないと社会システムが維持できなくなります。

以下の3つの指標で決まるのだと思います。

1、社会の生産量
経済が発展すると生産量が上昇するのでそれだけ豊かになり余剰も発生します。
生産量が高い現代社会、あるいは先進国は実際に子供や高齢者や失業者など働かない人がかなりいます。
特に顕著なのは子供でしょう。
10歳で労働させられる国と22歳になってようやく労働に参加する国の差は豊かさの差です。

2、働く人の消費量
例え生産量が多くても消費量が多いと余剰は少ないですし、生産量が低くても消費量が少ないと余剰は大きくなります。
途上国で失業者が多い場合でも成り立つのも消費量が少ないからだと言えます。
ただしこの場合は家族内での再分配となることが多いです。

そうすると生産量-働く人の消費量=余剰となります。
(単純化して投資は0とします)
そして余剰/一人当たりの消費量=働かなくてよい人の数となります。
実際には一人当たりの消費量は平均的な消費量を割り引いたものとなるでしょう。
単純化していますが考えとしてはあってるのではないかと思います。


3、働かなくてよいとされる人の優先度
働かなくてよい人の人数が求められると、ではだれが働かなくてよいのかという優先度が必要です。
一般的に考えられるのは子供、障害や病気を抱える人、高齢者の優先度が高くなります。
特に将来の働き手である子供は優先度が高いですが、昔は間引きの習慣があったように働かない=死ということもありました。
文化や豊かさの度合いなどによってこの優先度はかなり異なるでしょう。

では働かなければいけないとされるのに働かない人はどうなるのでしょうか。
社会の余剰がない以上は家族などの集団が面倒を見ることになります。
すなわちその集団が平均的な消費量以下の生活をしたり、平均的な労働量以上の労働をすることになります。
しかしこれらは個別の問題であり現在の社会が定義する働かなくてよいひととはなりません。


現在は働かない人への風当たりが強くなっています。
それはこのままでは現在の生活レベルを維持できないと感じる人が増えているからです。
なぜなら生産量がそれほど上昇していないにも関わらず消費量が増えているからです。
長寿社会になり医療や介護費が上昇し一人当たりの消費量が増加してきています。
教育費や日常の生活費なども以前と比べると上昇しました。
そうすると働かない人をこれ以上増やすと一人当たりの消費量が維持できません。
そのため働かない人を減らす方向へと価値観が形成されていきます。

では働かなくてよい人が多い社会にするにはどうするべきでしょうか。
現在の生産量は十分なので働きたくない人は働かなくてよいのだというひとがいます。
それはかなり無理があると思います。
なぜなら現在の生活レベルに不満を持っている人が多いからです。
消費税を少し上げるだけでも家計が苦しくなり不満を持つ人が多いのに働かない人のために負担を増やすのは難しいでしょう。

あるいは金持ちからとればよいという人がいます。
実際にお金持ちから取ることができてお金持ちも納得して変わらず働いてくれたとしても難しいでしょう。
この場合は働く低・中所得層の負担軽減に向けられるでしょう。
すでに現状維持が難しくなっているので働かなくてよい人を増やす方向にはいかないと思います。
格差是正は支持しても働かなくてよい人を増やすことを支持する人は少ないでしょう。

それでは働かなくてよい人が増える社会とはどのような社会でしょうか。
皆が高い生産性でよく働き、さらに一人当たりの消費が少ない社会です。
例えば日本の高度成長期は当てはまるのではないでしょうか。
この頃は企業は週休1日で長時間労働で皆が働いていました。
また現在ほどモノにあふれておらず高齢化率は低く、平均寿命も10年ほど短い時代ですので消費も現在よりは少ない時代でした。
調べたことはありませんが、この時代は働かない人、あるいは公務員などで実際は働かない人はたくさんいたのではないかとにらんでいます。


働かざる者食うべからず。
逆説的ですがこれこそが働かない人が存在することが許される社会に必要なのではないでしょうか。
生産量が増えることは余剰に直結します。

そしてシンプルライフ。
多少税金が上がったところでシンプルライフであれば十分暮らしていけるので働く人たちの不満も軽減されます。
すなわち働かない人にお金が回りやすくなります。

この二つの価値観を教育などで広めることが重要です。
そして周りの人にはたくさん働いてもらって自分はこっそり働かないようにするのです。

個人は所与として与えられた条件で生き抜く知恵を身に着けるしかありません。
文句を垂れていたところで何も解決しないし、自分と社会との価値観の距離が大きくなり負のスパイラルに陥っていくだけです。


追記

働くことの意味などのあるべき論ではなくこのような下部構造の視点からの研究はないのでしょうか。
産業革命あたりから労働人口、GDPの配分の割合、家庭の消費性向、生活保護者、浮浪者の数などから厳密な研究を誰かにして欲しいです。

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[ 2014/04/26 19:18 ] 雑感 | TB(1) | CM(10)

参加することに意義がある

私の職場近くに日本一の宝くじ売上高を誇る銀座チャンスセンターという宝くじ売り場があります。
ランチ時に前を通ることが多いのですが、ジャンボの発売日ともなると3時間待ち位の行列になります。

3時間も並んで何故あんなものが欲しいのかと毎回不思議に思います。
しかし私は3時間も並ぶことができる人たちを羨ましく思っています。
一枚たった300円で当選までをワクワクドキドキしながら待ち、そしてたまに1万円ぐらい当たると喜ぶことができるのです。
コストパフォーマンスが素晴らしい楽しみごとです。

宝くじを貧者の税金などと揶揄する人もいますが、私にはそういう斜に構えるような態度をとれるほど彼らより人生を楽しんでいる自信はありません。
胴元の取り分が多く経費も多く使いどれだけ有意義な助成に利用されているかは怪しいものです。
しかし宝くじを買う側にとっては自分が費やす費用以上に楽しめるかどうかが重要なのだと思います。
そしてそういう楽しみがない人は人生の楽しみが少ないのだと思います。

消費税増税前の駆け込み需要についてもそうです。
増税後のほうが割引で安くなるものがあったり、あるいは無駄なものを買ってしまったりする人も多いでしょう。
しかし消費税増税というイベントを彼らは楽しみたいのです。
無駄な買い物をしてしまえばそのネタで彼らは楽しくおしゃべりをすることでしょう。
イベントは人生に小さな起伏を与えてくれる重要なスパイスなのです。

ディズニーランドに行くこともAKB48に夢中になることも、オリンピックに熱中することも、あるいはブランド物、ギャンブル、バレンタインデーやクリスマス、誕生日、キャンプ、バックパッカー旅行も日常に非日常のイベントを組み込み人生を楽しむことであり、そこに違いはありませんしすべて仕掛ける人間がいます。
企業や国が消費を煽っており愚かな消費者がそれに乗っけられているといったところで、そもそも生存に必要な消費以外はすべて他者の物語に乗っているだけです。
世間が何らかの価値観を強制してきているという考えは意識が過剰になりすぎです。
日本社会が労働を強制しているとか社畜であることを求めているとかと思い込んで意識過剰になっている人たちと変わりありません。

周りの人に迷惑をかけるほどのめりこんでしまうのは確かに問題でしょう。
費用対効果を考えず何となくイベントに参加するのも賢い行為とは言えません。
つねにその消費をするための労働のしんどさに見合うものかは考えたほうがよいでしょう。
しかし節度さえ守ればイベントなんてどんなものであれ楽しんだもの勝ちです。
自分が楽しめないからと言って楽しむ他者を揶揄するのは、羨んでいるのか自己肯定に他者を持ち出さなければならないほど他者に依存しているだけのことです。

私はイベントにほとんど興味を持ったことがないのでイベントを楽しめる人が羨ましく思います。
ライブに行ったのは友人に誘われて行った1回のみです。
ディズニーランドも行くことなく生涯を終えることでしょう。
アイドルグループなどに夢中になったこともありません。
合コンも何度かするとすぐ飽きました。
オリンピックやワールドカップも少しテレビで見る程度でほとんど興味ありません。
ロックフェス、ビール祭り、B級グルメもの、その他の世間の流行りものにも乗っかることができません。

やはりイベントは参加してこそ面白いのだと思います。
友人の中で様々なイベントに忙しい人は実際に人生を楽しんでいるようです。
ザク豆腐というものがありましたが、あれをさっそく買ってフェイスブックに載せるタイプの人間は絶対に人生楽しいと思います。

しかしイベントに興味を持たず参加することが面倒というのは生まれついての私の性格なんで仕方がありません。
自分なりに楽しめるものを探すだけのことです。
そしてここ数年でようやく世の中のイベントに乗っからなくても楽しく生きられることが分かってきたように思います。
今は昨日と同じ今日を過ごせるだけで十分という境地まで来ています。
それでも日常も楽しみ、非日常も楽しみ、常に楽しめるネタを持っている人が人生の一番の勝ち組だと思います。

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[ 2014/04/19 17:32 ] 雑感 | TB(0) | CM(6)
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