人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

2014年2月のお奨め本

2014年2月に読んだ本の中でお奨めのものを紹介します。

・赤朽葉家の伝説 (桜庭 一樹)

山陰地方で長年製鉄業を家業として紅緑村に君臨してきた赤朽葉家。
辺境の人に置き去りにされ村の若夫婦に育てられた万葉は長じて赤朽葉家の大奥様のタツに請われて赤朽葉家に嫁ぎます。
万葉は幼いころから幻視をして、赤朽葉家に嫁いでからも何度か未来を幻視して千里眼奥様と呼ばれるようになります。
万葉は長女毛毬を産みますが、毛毬は奔放な人生を歩みます。
そして毛毬は瞳子を産むことになります。
祖母や母とは違い赤朽葉家を守るような存在にはなれそうにもない、あまりにも普通の女性である瞳子が語り手となって万葉に始まる、毛毬、瞳子の女三代の話が語られます。

小さなエピソードを重ねていくタイプの大河小説です。
このような手法がうまくいくと豊饒な世界が形成されていくから不思議です。
特に万葉という魅力的な主人公には引き込まれていきました。
ただ万葉が魅力的過ぎて、二代目の毛毬になると豊饒な世界性が薄れたように感じます。
そして最後の瞳子まで行くとあまりに現代的で普通の女性になります。
戦後昭和史と絡めていることもあって時代性を表しているのでしょうが、ファンタジー性が強い小説なので万葉の世界を継承したほうが良かったのではないかと思います。

とは言えエンターテイメント性を持つこの豊饒な世界は十分に楽しめます。
大河小説、年代記ものが好きな人にはお薦めです。




・シナプスが人格をつくる 脳細胞から自己の総体へ(ジョセフ・ルドゥー)

近年の脳神経科学の研究成果からシナプスの構造を解説しています。
認知と情動とモティべーションの側面からシナプスはどのような働きをするのかを述べています。
歴史的にどのような実験がなされ、知見がどのように変化してきたかまでかなり詳細な解説となっており、読みごたえがあります。
特にシナプスの可塑性について著者は何度も強調しており、この可塑性こそが記憶、学習、恐怖などのシステムの基礎となっており、それが人格の形成へと繋がっていくものとしています。

興味深かったのはワーキングメモリーの働きと情動の働きです。
ワーキングメモリーは何らかの作業をするために一時的に情報を置く場所です。
情報を引き出してワーキングメモリーに置くのですが、情報を引き出す回路に障害があるとその情報を利用できなくなります。
例えば過去に出会った危険な状態を学習として利用できなくなります。
このワーキングメモリーこそ人の意識を形成するのでしょうか。

情動システムは必ずしも意識上に現れるものではなく、無意識下でも動作します。
実際に人種差別的傾向がある人物に意識できないレベルで黒人の写真を見せると情動システムが作動するという実験があるそうです。
嫌悪を意識上で感じるのではなく、先に無意識下で嫌悪を感じているのなら人種差別とは物理的な脳神経の問題なのでしょうか。
もちろんシナプスが可塑性であるのなら、意識上で嫌悪を感じたことが回路を形成しからとも言えるのですが。

それにしても脳神経科学の本を読むと人間の行動すべては物理的なものであるのではないかと思ってしまいます。
犯罪や怠け者、精神的な病気などすべてが脳神経の問題であるとしたら治療対象となってしまうのではないかとどうしても考えてしまいます。
専門家は遺伝子決定論的な考えは否定します。
しかしたとえ遺伝子より環境の原因が強くても起こっているとが脳の中の物理的現象であるのなら、それは治療対象になるのではないでしょうか。

数百年後ぐらいには脳神経科学や分子生物学が社会をどのように変えるのか見てみたいものです。




・制服捜査 (佐々木譲)

札幌で長年刑事だった川久保は道警不祥事を受けた大異動により農村の駐在となります。
事件などほとんど起きそうにない田舎ですが、一つ一つの事件を通して閉鎖的で犯罪を隠そうとする社会構造と向き合い職務を地道にはたしていきます。

田舎で起きる事件なので派手さはないものの川久保が駐在として果たす役割をきちんと行う姿が淡々と地味に描かれています。
個々の事件の解決もあいまいに終わるものが多く、鮮やかな推理で犯罪者が捕まえられて裁かれるというようなものではありません。
しかし地味ながらもこの味わい深い渋さが良い味を出しています。
操作は刑事がするのであって駐在である川久保はあくまで刑事への協力や通常の駐在としての業務から事件の解決に努力しています。
村の閉鎖的な体質と向き合い村社会との距離感に苦労しつつも、駐在として村の治安維持と事件の解決に努力する様は地域の荒涼感と相まってハードボイルドな雰囲気を醸し出していると思います。

警察小説が好きで派手さのない地味なタイプの小説も好きならお薦めです。



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[ 2014/03/16 15:02 ] 今月のお奨め本 | TB(0) | CM(0)

バックパッカーの歴史と旅行記

日本でバックパッカーが現れるのは海外旅行が解禁された1964年以降のことです。
もちろんそれ以前でも個人で海外を旅行する人はたくさんいました。
江戸初期には父の菩提を弔うためにアンコールワットを訪れて落書きを残したことで有名な森本右近太夫がいます。
戦国から江戸初期にかけては多くの日本人が東南アジアを訪れていますが、現在のバックパッカーのような人が沢山いたことでしょう。

私が特に印象深いのは明治時代の河口慧海です。
禅宗の僧侶で漢語ではなく原典に近いとされるチベットの仏教書を入手するために、当時鎖国政策を取っていたチベットに潜入した人物です。
インドからネパール、チベットのカイラス山を回ってラサに到達、日本人であることがばれて逃げ帰ってくる5年間の大旅行を成し遂げています。
ヒマラヤを越えた初めての日本人としても有名です。
その旅行は「チベット旅行記」として出版されているのですが、英訳されてむしろ海外でのほうが評価が高いようです。
読み始めたらはらはらどきどきで止まらないこと請け合いです。

チベット旅行記




1964年に海外旅行が自由化されたと言っても海外旅行は非常にお金がかかったので国内バックパッカーが多かったようです。
この頃の数少ない個人旅行記で有名なのは小田実の「何でも見てやろう」です。
旅行自由化前の1961年出版でアメリカ留学の帰りに世界各地を旅をして日本に帰ってくるまでの旅行記です。
タイトル通りポジティブで、各地を体当たりで体験してやろうというまさに高度成長期に入るころの夢を持つことができた若者の一人旅です。

何でも見てやろう




ほどなくして全共闘世代が現れます。
ベトナム戦争や高度成長、資本主義の矛盾に疑念を持ち始める世代で、アメリカでもヒッピー文化の影響でバックパッカーが盛んになります。
そのような中で1972年出版されたのが藤原信也の「印度放浪」です。
このころからまだ見ぬ海外への憧れというものではなくなっています。
どちらかというと海外に行くことによって自分を見つめるような旅に変化してきます。

内容も異文化と出会う刺激的な毎日というのではなく、淡々と自分と周りの情景を描いています。
イケイケで突き進んだ時代から少し立ち止まって考えなおし始めた時代の始まりを予感させる本と言えるでしょう。
それまでとは違うスタイルの旅行記を切り開いたといえます。

印度放浪




そして1986年に出版されたのがカリスマ的な人気を博した沢木耕太郎の「深夜特急」です。
実際の旅行時期は1970年代であり、全共闘最後の世代の旅行記と言えるでしょう。
藤原信也よりも自分探しや旅の意味を問うというような雰囲気が強くあります。
全共闘の挫折から自分探しが必要であった時代ですが、まだ自分の個人的な悩みと世界がつながっていた時代です。
また同時に意味のないことへの楽しみ、あこがれもあり私がイメージするようなバックパッカーをこの本は表現しています。
というよりはこの本によって私のバックパッカー像が形作られたと言うべきでしょうか。

ユーラシア横断のほぼすべてを記述していてバックパッカーの旅行記としてよくまとまっており、旅の技術的なものも盛り込まれ、様々ものにも出会うというバックパッカーの旅、あるいはバックパッカーによる旅行記のお手本のようです。

またバックパッカーがメディアに消費されるのもこの頃からで、のちの「深夜特急」の映像化、猿岩石へと繋がっていくことになります。

深夜特急




高度成長期も終わり、1986年に出版されたのが蔵前仁一の「ゴーゴー・インド」です。
イラストレーターの著者がインド、ネパールを1年旅したときの面白話をイラストを交えて書いています。

それまでバックパッカーの旅は冒険であったり、自分探しであったりしたのが、ちょっと海外へ出かけて面白体験をしてくるという程度のものになりました。
海外旅行が非日常的な体験であったのが、日常的な体験とあまり変わらなくなります。
全共闘という戦いや自分探しの日々は終わったのです。
そしてガイドブックの出版や各国の旅行インフラの整備、航空券の低価格化でバックパッカーも非常に身近で手軽なものになりました。

旅なんて特別なものではなく、ちょっとお金と時間を作って楽しんでくる程度のものであり、難しく考えないで楽しんで旅行することを示した象徴的な旅行記であると言えます。

新ゴーゴー・インド




1990年代に入るとさらにバックパッカーが手軽になり、大学生でも気軽な冒険旅行をするようになります。
完全に大衆化したといってよいでしょう。
バブルがはじけて旅の等身大化がますます進みます。
この頃になるともうあまり時代を代表するような旅行記はなくそれ以前の旅行記とあまり変わりませんが下川裕治の「12万円で世界を歩く」や小林紀晴「アジアン・ジャパニーズ」が支持を受けます。

12万円で世界を歩く



ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ




これまで挙げた人たちはバックパッカーに大きな影響を与えてきました。
しかしこれ以降はそのような本は出現していないように思えます。

おそらくバックパッカーが珍しくもなくなり、旅のスタイルや目的が多様化したからだと思います。
個性的なバックパッカーが旅行記をブログに書くようになり人気の旅行ブログからも多数出版されるようになりました。
バックパッカーが日常の現象になり大上段で語るほどのものでなくなったとき、旅のモデルも必要なくなったのでしょう。

新時代のバックパッカーの旅行記はバックパッカーに影響を与えるようなもの見当たりませんが、面白い旅行記はもちろんあります。

一つ挙げるとすればさくら剛の「インドなんて二度と行くかボケ!!」です。
ニートが彼女に振られ、インドに行くという話しで、バックパッカーといっても1ヶ月程度の旅行です。

帰国後にブログに書いた旅行記が評判を呼んで出版にまでいたり、かなり売れてアフリカや中国、南米編と続編も出版されています。

とにかく抱腹絶倒です。
上に上げた大御所たちの正しいバックパッカーからは別世界になっているようです。
自分探しもしないし、旅の意味も問わない。
ニートな自分にひきつけて面白おかしくブログの文体を駆使して、突っ込み満載でオチもしっかり用意します。
もしかすると外国人や異文化なんてものも自分の中に深く入ってくるものではなく、単なるネタになったのかもしれません。
この本はバックパッカーの新たな時代に入った象徴と言えるのではないでしょうか。

私が学生のころと比べてもバックパッカーのあり方がかなり変わりました。
以前は一度旅に出ると日本の情報なんて全くないし、日本から完全に切り離されたところに身を置いていました。
今ではどこでもネットが利用でき、最近でWIFIも利用できる国が多いです。
毎日ネットで日本のサイトを読んだり、スカイプで電話したり、現地の情報を調べるのが旅の日常となりました。
またアジアであれば日本料理などの日本文化がどこにも入り込んでおり、もう異国への冒険心をくすぐられる人は少ないと思います。

インドなんて二度と行くか!ボケ!!―…でもまた行きたいかも




最後にバックパッカーではないですが、2000年前後から外こもりのような長期滞在者も多く出現します。
以前から長期滞在者は存在していましたが、明確に外こもりを目的とする人が増えてきました。
物価の差を利用して日本で数か月バイトしてバンコクに1年ほどいるというサイクルで外こもりをするのが典型です。
日本に生きづらさを感じたり、海外のゆるさにはまるというのは冒険心や自分探しとはそれまでのバックパッカーとはまた違ったあり方です。
外こもり本として一番影響を与えたのは以前にも紹介しましたが、やはり安田誠の「外こもりのすすめ」でしょう。

外こもりのススメ―海外のほほん生活



旅行記には人それぞれの旅行スタイルがあらわれます。
時代や著者の個性によって全く異なった旅のあり方があり、それらを比べてながら読むと非常に興味深いです。

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[ 2014/03/08 16:32 ] 海外旅行 | TB(0) | CM(8)
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