人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

そこそこで満足してしまう人生

仕事でも遊びでも一生楽しめる人、とことん極めようとするタイプの人がいます。
起業家、研究者、アスリート、何らかのマニアなどでしょうか。
決して多くはないですが、それなりに存在していて社会にも影響を与えるような人たちです。

しかし、大半の人はそこそこにこなせれば後は何も考えず、何となく続けて、そして死んでいくように見えます。
企業でそこそこ出世して、無理はせずにそれなりに責任ある仕事をできれば十分と言う人がほとんどでしょう。
あるいは草野球を一生楽しくできれば満足と言う人もいるでしょう。

私も深いところまで極めたり、より高いレベルを目指す前に満足してしまう人生でした。
ある程度までは努力できるのですが、何かを極めるぐらいのところへ行く前に飽きてしまい努力が続かないのです。

スポーツでは地元ではそこそこ強いレベルでしたが、全国レベルまで頑張ろうとは思いませんでした。
県大会レベルで一目置かれれば十分でした。

大学受験でも一応偏差値では努力すれば東大に行けるぐらいのところでしたが、二次試験で嫌いな社会を避けるためもありましたが、まず落ちることのないと考えていた東大、京大の次ぐらいの大学で十分満足してしまいました。
そのレベルで私の自尊心は十分満たされたし、周りの学生のレベルもかしこすぎず、あほすぎず、ちょうど良いものでした。

大学3年ぐらいまでは研究者を意識して勉強していましたが、これまたある程度勉強が進むと大体の雰囲気がわかってきた気がしてもう十分かなと思うようになりました。
後の本当にオリジナリティのある研究は天才や秀才がやるべきものだし、研究に一生を捧げるのは無理だなあとも実感しました。
そもそも研究では食べていくのが難しいと言う現実もありましたが。

大学の頃に始めたバックパッカーも初めは面白くて仕方がなかったのですが、訪問国が10カ国を超えるぐらいですでに満足していました。
建物ではペトラやアンコールワット、ガウディ、自然ではサハラ砂漠やエベレストを経験したぐらいでお腹一杯になりました。
後はどこへ行っても似たようなものだし、テレビや雑誌で何度も見ているものなので驚きもありません。
今では本を読んだり、地元のご飯を食べてボーっと過ごすために行くだけです。
特に海外に行く意味があるとは思えないぐらいです。
最近では飛行機に長時間乗るのが面倒で近場だけにしようかなと考えるようになってきました。
ネパールが好きなので最も遠いところでネパールでしょうか。

仕事も十分満足してしまいました。
新卒で入った誰もが知る大企業はつまらなかったです。
皆が半分ぐらいの力でだらだら仕事している感じでした。
その後に転職した外資系とベンチャーではかなり仕事を任されてそれなりに頑張りましたし、それだけの仕事の面白さや報酬をもらえました。
しかしここでもうお腹一杯になりました。
今では数千人程度の安定したそこそこの大企業でろくに仕事もせずに過ごしています。
報酬と仕事の面白さがなくなる代わりに自分の時間を手に入れるために昨年に転職しました。
何とか前の会社での経験と知識の貯金で仕事をこなしていますが、もうこれ以上仕事力を高める気はありません。

他にもいろんなことに手を出してきましたが、全てもう飽きて止めてしまっています。

さて40を前にしてある程度人生でいろんなことをして、どれも中途半端なレベルで満足してしまった今、残りの人生で一体何をするのかが問題です。

子供がいれば子育てで時間を潰せますが、私は結婚したくないし子供が嫌いです。
ただぼーっと暮らせれば楽しいという人も多いでしょうが、私は微妙なところです。
それなりに色々とやってきたつもりなので何かをしたいと言う気持ちも少しあるのです。
また、最近のだらだらサラリーマン生活からボーっとしているだけの生活もどうかとも思うようになりました。
中途半端な人間ならそれらしく中途半端に何かを続けられれば良いのですが、新しいことも求めてしまいます。

幸いなことにまだ知識欲はかなりあります。
リタイアしたらもっと色んな分野の本を読みたいですし、理科系の勉強も高校生レベルからやり直すつもりです。
ただこれらは推理小説を読むような感覚で暇つぶしに近いです。
海外も一応はまだまだ行きたいとは思っていますが、これもたまに環境を変えないと生活に飽きちゃうためです。
それ以外の新しいことの挑戦は今のところ思いつかないです。

1日に3時間程度を費やすぐらいでそこそこ奥が深く努力すればそれなりに何かが分かったり達成感があるようなことがあればよいのですが。

道を極める人生を歩めず家族を持つこともない私にとって、残りの人生の暇つぶしの方法がリタイア後の最大のテーマとなりそうです。

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[ 2012/10/27 12:55 ] 人生 | TB(-) | CM(8)

乞食

海外を歩くときいつも乞食を観察してしまいます。
社会の経済状況や文化により乞食が社会で占める地位は当然異なります。

日本で乞食を見たことがあるのは2度だけです。
日本にはホームレスはそれなりにいますが乞食はやはり少ないと思います。
生活保護などの福祉が手厚いし、面倒を見ることができる家族もいることでしょう。
数も少ないし乞食は社会から排除された存在でどうしても惨めに見えてしまいます。

経済成長のおかげか東南アジアは最近は乞食が減ってきているように思えますが、昔はかなりいました。
乞食がある程度多いと恵む側も慣れているので小銭を自然に恵むことができます。
しかし恵むことに慣れていない日本人は自然に恵むことは苦手なようです。
私も恵んだことがありますが、どうにも何ともいえぬ居心地の悪さを感じてしまいます。

多いのは子供を抱えた母親ですが、特に水頭症の子供を抱えている母親を見ると何ともいえない気分になります。
他には手や足がないような人や老人などが多いですが、若い人は少ないように思えます。
若い人には労働するチャンスがあるのかもしれません。
カンボジアは地雷で足を失った乞食がたくさんいます。

東南アジアでは乞食は社会的にそれほど力を持ってないように思えますが、理不尽に虐げられているとまでは見えません。
社会から排除されているまでは思えず下層階級という感じでしょうか。

インドやネパールなどでは乞食はかなり多く一つの社会集団として形成しています。
またマフィアなどによる乞食ビジネスもシステムとして出来上がっています。
東南アジアと違って若い人もかなりいます。

乞食は余りにも堂々としており金よこせぐらいの勢いです。
堂々と停車中のバスの中にも乗り込んできます。
少なすぎると文句も言われます。
こちらとの身分差を強調するようなこともします。
チャイ一杯のために足に何度も口付けをされたときは本当に参りました。
何とも嫌な感じがするもんです。

インドやネパールの寺院の入り口では乞食がずらりと並んでいるのに出くわしますが、いい悪いではなく厳然と一つの社会階層が存在していることを訴えかけてくることでしょう。

インドやネパールの乞食は悲惨さを感じながらもその存在感の強さには圧倒されます。
下層階級ではあるのですが、東南アジアより社会の一つの階層としての自己主張があります。

中東まで行くとイスラムの影響もありそれなりに乞食の存在が認められています。
東南アジアやインドなどと比較すると自然な存在です。
恵む側も恵んでもらう側も何とも自然な行為で違和感をあまり感じません。
ラマダンなど社会行事あるたびに乞食に食事が振舞われるなどしており、少なくとも排除されるような扱いは受けていないように見えます。
ここでも下層階級ではあるのですが、社会に一定の役割を果たしているような感じでしょうか。

概して経済的に貧しい状態や失業が多い地域は乞食が多いのは当たり前です。
ヨーロッパは失業率が高いせいか、乞食ではないですがタバコや小遣いをせびってくる若者が多くて驚いたことがあります。
しかし、それ以上に文化、社会的背景が乞食をどのような存在として扱うかは大変興味深い問題です。
乞食が社会から排除されているのか、社会の内側に組み込まれているのか、助けるべき存在なのか、要求すべき存在なのか。
固定された社会階層なのか、抜け出る道がある程度用意されているのか。
精神障害者についてもどのような社会的存在かも同様に興味深いです。


このような問題意識を持っている人はやはりいるようでバックパッカーが書いた以下の本が面白いです。
乞食の赤ちゃんレンタル、手足を切り落とされる話、腎臓をとられる話など噂にはよく聞く話が書かれています。

物乞う仏陀 (文春文庫)



もう一冊は精神障害者の存在を歴史社会学的に分析したフーコーの名著ですが、資料の扱いに疑義を提示する人も多いようです。
哲学や社会学が好きな人でないと読めないと思いますが、神との通信、社会の排除の問題を考えるのによい本です。

狂気の歴史―古典主義時代における



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[ 2012/10/13 16:41 ] 海外旅行 | TB(-) | CM(0)
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