どうして太平洋戦争という無謀で馬鹿げた戦争に日本は突き進んで行ったのかということを私は長年疑問に思っていました。
様々な議論がなされてきましたが、頭では理解できても実感としてはどうしても理解できませんでした。
戦前の多くの国民はろくに教育も受けていない前近代的な人たちで理性的な思考があまりできなかったこと、そもそも理性的な判断を下すための情報を得る手段がなかったことなどから集団的な高揚状態に陥り理性的な判断を排除していったのだろうと私は漠然と考えていました。
端的に言うと戦前の国民は前近代的な劣った人たちだったからと上から目線な見方をしていたと思います。
何となく空気に流されて戦争へと突き進むプロセスや雰囲気を実感することができなかったためです。
しかし最近ようやく実感としてこのプロセスが分かってきたような気がします。
国債や原発問題への政治と国民の態度を見ていると、なるほど理性的な判断を放棄してヒステリックな状態に陥ると言うことはこういうことかと納得いくようになりました。
ヒステリックな状態になる人は一定の割合しかいなくても残りの多数の人は何となく流されていくのでしょう。
また、全体の利益をどれだけ犠牲にしても個別的な利益を優先するグループは状況が悪くなればなるほど力を増していくということもよく分かります。
このヒステリックな状態と個別の利益を追求するグループが混在すると事態は複雑化し、全体の問題を解決しようとすることはほとんど不可能な状態に陥ってしまいます。
国の経済政策にしろ、原発問題にしろ科学的かつ常識的な知見はあまりにも無力なようです。
とてつもないポジティブシンキングと徹底的なネガティブシンキングは理性的で現実に即した判断を吹き飛ばしてしまうようです。
戦前も現在もそれほど国民の思考方法は変わっておらず、刺激を与えられると反射的に高揚してしまうのでしょう。
決して戦前の国民は現代に比べて遅れた人たちではないということが実感としてようやく理解できました。
戦前に比べて現代は教育環境もよいし、情報が統制されることも難しい時代なのに戦前と同じような思考と行動がされているということは、個々の人間が理性的に判断すると言う観点からは戦前にすでに進歩の限界が来ていたのかもしれません。
ヒステリックになるような人たちはどのような人たちでしょうか。
それは自分の直感や感性を大切にしている人たちだと思います。
信仰を持つ人、アーティスト、政治家、思想家、右翼系、左翼系、企業家でしょうか。
実際に放射線に興奮状態に陥ってたり、リフレ派の人が多いようです。
では自分の直感に常に疑問を持っている人たちはどのような人たちでしょうか。
ビジネスマン、科学者、哲学者、アーリーリタイアを目指す人たちです。
これらの人は論理と数字を優先して、自分の直感は必ずこれらで検証しようとします。
我田引水ですが、アーリーリタイアを目指す人も直感に頼らず常に検証をするタイプでないとリタイアの達成は難しいと思います。
感性を優先する人と理性を優先する人のどちらが優れているとかと言うことではありません。
どちらも社会には必要な人たちであるのですが、バランスが取れている必要があります。
私の考えでは社会の安定期には変革を求める力が弱まるので感性を大事にする人の役割が重要です。
反対に社会の激動期には一方向への行き過ぎを抑制するために、理性を優先する人の役割が重要になると思います。
原発の問題については日本の競争力を低下させたり、国富が少々流出する程度の問題ですが、国債についてはその程度では済まない問題です。
私が生きている間にデフォルトやインフレなどのドラスティックなことが起こる可能性が高いでしょう。
そのときに政治家や国民はどのような行動をして、誰のせいにするのでしょうか。
私自身も経済的打撃を受けるでしょうから、国債の危機的状態は歓迎したくありません。
しかし戦前の雰囲気を少しでも実感として知りたいのと同じように、国債が危機的状態に陥ったときに社会がどのように反応するかを見てみたいというのもあります。
しかし経済的な危機と言っても戦争が起こるわけでもないでしょうし、飢え死にする人もそうはでないでしょうから意外と簡単に乗り切れるのかもしれません。
日本人はどうもリセットされた後の復活に長けているように思えるので。
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