人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

正義が溢れる

先日右翼と左翼の街宣を少し聞いていました。
両方とも従軍慰安婦問題について触れていました。

右翼の街宣はあまりに幼稚な小学生レベルの論理に驚愕しました。
いや小学生でもこいつ馬鹿なんじゃなかろうかと思うレベルです。
あの演説を聞いてまともな知能を備えた大人が共感することがあるのかかなり疑問でした。
右翼の街宣を聞いたことのない人は一度聞いてみるとびっくりすると思います。
もう一つ感じたことは右翼系の人は怒りを原動力にしていることです。
自分たちや自分たちの国、民族が他国に権利を侵害されたり、いわれのない非難を受けていることに対する怒りです。

怒りを原動力にすると不幸なことになります。
解消できることのない怒りが一生続くからです。
さらにはそのような情動で生きている人は周りからも評価されずに余計に鬱屈したものがたまるでしょう。

一方左翼の演説を聞いていると事実関係はともかく一応筋の通った主張をしていました。
どんなことであれ正義は必ず少しは存在しておりそれを全体化する主張をされると原理的には反論できません。
彼らは社会の現実的なあり方には興味ないし世の中はベターな方向を目指すしかないということは理解しようとしません。
安全対策はコストとベネフィットで決められなければいけませんが、正義にも無限のコストを求める人がいます。
落としどころというものを拒否すれば正義を叫び続けることができます。
しかし全体としてより良い世の中を目指すしか方法はなく、すべての正義が果たされる社会など神の国ぐらいです。
ある正義を果たすためにそれ以上の犠牲を世の中に求めることは間違っているでしょう。
ある正義を果たすために正義とは正反対のことを引き起こすことも間違っているでしょう。
労働組合も共産主義国も理念としては正しいことばかりです。
しかしそこから生まれるのは正義とは思えないことばかりです。

左翼は怒りというよりは正義を原動力にします。
正義を求めること自体が生きる目的になると人生は充実します。
現代社会では右翼的、情動による怒りは馬鹿にされるかもしれませんが、論理的には筋の通る正義の論理には反論しにくいのは事実です。
たとえ周りに朝日脳などと馬鹿にされても自分の論理の正しさを信じることができれば問題ありません。
自分が正義の立場に立つことはカタルシスほど気持ちの良いものはないのでしょう。
世の中はうまくいかないことばかりなので正義を叫ぶ機会などいくらでもあります。
震災や格差、過労死、原発、安全安心の問題、果ては政治家の失言や芸能人の不倫問題まで。

そして世の中には正義が溢れます。

もっとのんびりとして緩い感じで少しだけより良い明日を目指してほしいものです。


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[ 2017/04/29 13:47 ] 社会 | TB(-) | CM(2)

国歌、校歌、部歌

小学校や中学校の時に校歌をよく歌わされていましたか?
私の学校ではやたらと歌わされました。
さすがに小中学校の校歌の歌詞は全て覚えていたと思います。

讃美歌や軍歌などのように人々を高揚させて一つにまとめるには歌は昔から重要で効果的なツールでした。
現在でも甲子園で勝利チームが校歌を歌う姿やオリンピックで君が代が流れると感動する人が多いようです。
歌が何らかのシンボルとなり歌うことによって身体にそれが流れ込んでくるのでしょう。

私はと言えば中3ぐらいには校歌を歌うことはなくなりました。
馬鹿らしすぎてあほちゃうかと思っていました。
小中学校では君が代斉唱はなかったような気がします。

高校に入るともちろん校歌なんて一切覚える気がなくメロディーも頭に入っていませんでした。
高校では君が代斉唱がありましたが、きみがあよーはまでしか知らないのでそこからはボーっとしていました。
学校で国旗掲揚や国歌斉唱とその拒否の議論がありますが、どっちでも今時の生徒に影響を与えることはないんじゃなかろうかと思います。

大学では体育会に入ったのでこれまた部歌と学歌を歌う機会がしょっちゅうありました。
飲み会のたびに最後に皆で肩を組み部歌と学歌を歌うのです。
歌い終わった後は「フレー、フレー、○○大学」とやります。
まさしくあほです。
私はずーっとこいつらあほちゃうかと思っていました。
何で私は青春をこんなくだらないことに時間をかけたのでしょうか。
試合でも大した成績を残せなかったくせに。
定期戦があると毎回飲み会があるのですが、これも最後に参加大学が順番に部歌を歌い、「フレー、フレー」
とやります。
これが終わるとビールを持ってみんなで叫びます。
興奮状態なんで椅子を投げ合ったりしてしょっちゅう大学生協の人がマジ切れしてました。

そして私は部歌も学歌も最後まで覚えませんでした。
もしかすると部で私だけが最後まで鼻歌で通したのかもしれません。
信念をもって覚えなかったわけではなく、覚えることが面倒だったのと皆が歌うのを聞いても本当に頭の中に全く入ってこなかったのです。

歌によって一体感を醸成することを否定するつもりはないのですが、どうにも私はそのような場に置かれると息苦しくてしょうがないようです。
スポーツのチームメイトならまだしも学校、社会、国家というような抽象的なものとつながることへの拒否感が強いです。
世の中にはつながりたい人とつながりたくない人がいます。
道徳教育で教育勅語がどうのこうのとか震災などを通じて絆とかを見ているとやはりつながりたい人のほうが多数なのでしょう。
大人になればつながることを拒否できますが、子供の頃は学校があるのでつながりたくない人には生きにくい世の中です。

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[ 2017/04/22 11:12 ] 社会 | TB(-) | CM(4)
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