人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

社会的共感と分断

人は社会的共感を持つことができる動物です。
他人の不幸に同情したり、幸福を喜ぶことができます。
人生や社会といったものに対する考え方に共感を持つこともできます。

私からするとどうでもよいことに共感したり、怒りを覚える人が少なくありません。
不倫や結婚からブラック企業、事故や災害による不幸、人を助けたような美談、あるいは外国との関係などあらゆることに感情を共有したがる人が多いようです。
共感できるかできないかというようなあまりにもどうでもよい記事が多かったり、芸能人などの発言をいちいち記事にしているものが多いのも共感できる、あるいはできないということが人にとって重要なのでしょう。

下らないように思えるこの社会的共感というものは大事なものです。
社会的共感があるからこそ弱者を助けるような政策が支持されたり、障害を持つような人や単に能力の低い人でも社会参加しやすい環境の維持が支持されます。
妊婦さんに席を譲ったり、小さな子供が道路で遊んでいるときに通りがかった人が危なくないかとちょっと気にかけるようなことができるのは共感する能力が人にはあるからではないでしょうか。

しかし、社会的な共感を持つことができるのは自分が同質性を感じるグループに限られてきます。
気候問題のようなグローバルな問題からローカルの社会まである程度伸縮することがありますが、その人が共感できるのは社会的同質性があるグループでないと難しいでしょう。

我ながら私には共感の能力が人より少ないなあと思っています。
おそらく同質性の高い社会で暮らしてきたからだと思います。
格差社会と言われても実際に生活に苦労している人を知らないので本人の努力や工夫が足りないだけだろうとどうしても思ってしまいます。
現在の格差は逆に少なすぎるのでもっと成果に応じて差をつけたほうが良いとか、これ以上の政府の再分配の強化は止めるべきだとさえ思っています。
生活保護を受けている人と出会ったことがないので母子家庭などのような私でも想像できるような苦労をしている人以外は厳しい条件を付けて生活保護を支給すべきだと思っています。
母子家庭や障害を持っているような想像しやすいケースを除くと、私の周りに例がないので普通の人で生活に困るという状況が想像できないのです。

最近は日本も社会階層が親から子へとそのまま受け継がれるようになってきました。
私が学生の頃に比べて高学歴、高収入の人が親も同様であることがかなり多くなってきているそうです。
戦争でいったん社会階層がリセットされてから時間もたち、かなり階層の固定化が進んできたのでしょうか。
そうすると学生時代の交友関係も会社に入ってからの同僚や取引先との交友関係も同じような階層内になります。
別の階層の人の存在をリアルで出会わないと共感など持てるわけもありません。

それでも人は会社以外でも活動しています。
趣味のようなサークルでは比較的多様性があると言えます。
街に出れば買い物をしても電車に乗っても居酒屋に行ってもホテルに泊まっても労働者がいます。
道路工事や建築に携わる人もいますし、会社でも清掃作業をしている人もいます。
親に介護が必要になれば介護士として働く人にも出会うでしょう。
外国人の労働者も多くいます。
そしてこれらの中には低賃金だと思われる人も多いことでしょう。
様々な労働をする人を目にすることで社会は多くの人から成り立っており、それぞれに貢献してくれている人がいるからこそ自分が生かされていることも意識できます。

けれどロボットやAIといった自動化時代の到来が現実的になってきています。
そう遠くない将来にバスやタクシーは自動運転となり、スーパーやコンビニ、レストラン、ホテルも無人となると思います。
介護のようなロボットに任せるのが難しそうな業種もいつかはロボットだけになるかもしれません。
生活していても労働者、特にブルーワーカー、マックジョブと言われる仕事に従事する労働者に出会わなくなってしまいます。
リアルな接点を持たない者同士で共感が生まれるのは難しいでしょう。
そうすると私のような趣味は家の中で本を読むぐらいというような人は自分とは異なる他者を想像する機会がなくなるのかもしれません。

AI時代が到来すると格差が拡大する懸念が持たれています。
その時には持てる階層と持たざる階層が分断されお互いに分かり合えないということがますます多くなるのかもしれません。
分かり合えず分断はしていてもどこかで落としどころを見つけながらも社会は運営されていくのかもしれません。
そうであっても自分とは異なる他者の存在を感じることがあまりない社会にはなるのではないかと思います。
それでも自動化によって全体として豊かになっていくのであれば、他者の存在を感じまいとそれはそれで社会は上手く回っていくのかもしれません。
そもそも社会的な共感なんてものが共同体に必要なのは、共同体内で一体感を保つことによって共同体を維持したり、敵対する共同体との競争に勝つためなのだと思います。
そうすると絶対的な豊かさが増すにつれて、格差による嫉妬などがあるとはいえ、共感そのものがごく限られた家族、友人関係に縮小していくのかもしれません。
現在は異様に共感が社会に溢れているように見えますが、それはまだまだ社会が国家単位で成り立っており、国際関係においても国内においても同質の共同体が想定されている国家の存在が大きく、人々がそれに依存しているだけのことなのかもしれません。

グローバリゼーションによって個人が国家からは独立した市民として生きるようになると言われてきました。
確かに国境を越える人は確実に増えてきました。
一方でそんなこととは無縁の人も多く、逆に国家や民族といった存在が復活してきたようにも思えます。
しかし、今後労働の自動化によって労働という人同士のリアルで強力な関係が減っていくと、国家や民族の基礎が崩されていくことがあると思います。
グローバリゼーションが達成できなかった独立した個人による社会は、もしかすると労働の自動化による労働を通した人間関係が消滅していくことによって達成されるのかもしれません。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村

[ 2020/02/24 13:27 ] 社会 | TB(-) | CM(0)

悲惨な氷河期世代と言うけれど

今年、悲惨な就職氷河期世代というような話が多かったように思います。
政府による氷河期世代への支援の話が急に出てきました。

私は団塊ジュニアで就職氷河期でした。
私の世代はとにかく人が多かった印象があります。200万人を超えていました。
小学校は30人学級なんて言いますが私の頃は60人学級で、当時の先生は大変だったろうなと思います。
大学受験もかなりの狭き門で国立大学は臨時の定員増がありました。
高校の先生によると当時の関西の二番手グループであった大阪大学と神戸大学文系であれば現在の京大に合格できるぐらいだそうです。
当然大学受験に失敗する人が多く、同級生の3分の1ぐらいは浪人していました。
今時の受験生は浪人はどれぐらいするのでしょうか。

やっとこさ大学に入っても大学卒業時にはバブル崩壊で新卒採用が壊滅状態でした。
誰もが知る一流とされるような会社は一流大学の学生でも落ちて普通だったと思います。
公務員は何故かそれほどは人気がなくて当時は関関同立レベルであれば落ちることはなかった印象ですが。
教員採用試験では人気のところでは50倍ぐらいありましたが。
大卒新卒の求人倍率が1倍を切っていたそうですから非正規として働かざるを得なかった人も少なくないでしょう。
第二新卒なんてものはほとんど受け入れてもらえませんでした。

それでも何とか就職しても上にいるのはバブルを謳歌した後は仕事しないおじさんさたちやバブル期に就職したやたらと多い先輩たちがいました。
後輩はなかなか入ってこず、30代に入るとポストがなく出世が難しくなり、年功序列が弱まるにつれ40代になっても給料が上がらない世代になってしまいました。
正社員であっても割を食った大変な世代です。

確かに悲惨といえるかもしれません。
現在はましになりましたが日本の会社のシステムが新卒絶対主義でしたし、上の世代のツケを真っ先に被った世代といえるでしょう。
けれども悲惨な氷河期世代とばかり言ってしまってよいものだろうかと疑問に思ってしまいます。
悲惨な人なんて世代とは関係なくどこにでもいます。
運悪く正社員になれなかった人、ひどい家庭環境に育ったり、病気やけがで仕事ができなくなったりする人なんてどの世代もいます。
当事者が時代のせいだと言ってしまうと単なる自己憐憫や言い訳のスパイラルに陥ってしまわないのでしょうか。
それで誰かが助けてくれるならいいのですが、そうでないなら益々悲惨になっていくだけではないでしょうか。

現状に甘んじろというのではなく、自分たちは運が悪いとか悲惨とかいうのではなく公平な制度を求めることが大事なのではないかと思います。
そうでないと他の世代の苦境にある人には目を向けず、単に俺らの世代を救済しろと言うだけになってしまいます。
結局悲惨というのは経済的なパイの問題に落ち着いてしまい、そしてそれは公平な競争を求めるべきであって、とにかくそれを俺に寄越せでは根本的な解決にはなりません。
もちろん、既得権益者は現状のシステムを守ろうとするので簡単に変わるものはないですが、かといって援助しろといったところでお情け程度の援助でごく一部が恩恵を受けるだけでしょう。
それであるならより前向きであったほうがいいですし、あるいは個人的な努力で改善するほうがより可能性があります。
頑張っても俺らの世代は報われなかったという人がいますが、その中でも報われてたのはやはり努力した人が多いということも事実です。

さて就職氷河期世代はそんなに悲惨な世代なのでしょうか。
私はそれほど悲惨とは思っていません。
私自身が幸いにも特に苦労もせずに生きてきたということを割り引いてもそれほど自分の世代が悲惨とは思えないのです。
人として生活していくうえでの環境は上の世代よりは良くなっているのではないでしょうか。

祖父母の世代は戦争を経験し、戦後の混乱を経験しています。
親の世代は途中まで週休1日でしたし、モーレツなサラリーマン世代です。
転職も難しく、やり直しの効かない世代でした。
私の母親は大阪の学区でトップ校を出ていますが、女性であるがゆえに大学に進学できず未来の選択肢が限られていました。
団塊ジュニアは確かに苦労をしていますが、女性がある程度活躍できる社会でしたし、近年は働く環境も良くなってきています。
パワハラ、セクハラが普通ということはなくなりましたし、根性論もきかなくなりました。
余計な飲み会や強制の私的な付き合いも随分と減っています。
生活レベルも親世代よりは上がっているのではないでしょうか。
親の世代は給料右肩上がりでしたが、堅実な生活をしている人が多い世代ですし、当然今のような便利なものに溢れている時代ではありません。
私達の世代は親世代より可処分所得が減っているかもしれませんが、若いころに国内海外旅行にいった回数はかなり多いでしょうし、家電なども普通に色々持っています。
多くのものやサービスの品質と価格は私が子供のころと比較すると隔世の感があります。
20代でインターネットが普及して、スマホなんていうとんでもないしろものも30代頃から使えています。

また、意外と盲点なのは親世代は堅実な生活によって資産を築き上げているということです。
私の世代では家を買うときの援助が普通にありますし、中には子供の教育費の援助を受けている人もいます。
親世代でも資産のばらつきはありますし、援助の考え方もそれぞれでしょうが、遺産も含めて親からそれなりに援助を受けることができるのは団塊ジュニアまでぐらいの世代ではないでしょうか。
親の団塊世代も土地持ちの長男以外は普通の家庭では資産がそれほどはなかったし、兄弟も多いので遺産はそれほどもらえていないでしょう。
40代の引きこもりがクローズアップされますが、そもそも引きこもりを抱えても生活できるのは親世代の資産や年金があるからで、今後は中高年の引きこもりは経済的に難しいのではないでしょうか。

悲惨とかかわいそうとか、弱者とかそんな言葉を人は使いたがりますが、ただそれを唱えるだけでどれほどの説得力や共感が得られるのだろうかと思います。
それらの言葉は感情を揺さぶりイメージを喚起するだけだからです。
主観的、個人的なものにとどまり普遍性を持ちえません。
反感を持つ人からは甘えだとか自己責任だという言葉が返ってくるでしょうし、実際にそういわれて当たり前の人も多くいるでしょう。
私も自分は可哀想だから、悲惨だから、損をしているからとか言われてもどうにも響かないのです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村

[ 2019/12/24 19:36 ] 社会 | TB(-) | CM(4)
ブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
検索フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

相互リンクとコメントを頂いた方