人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

今が人生で一番幸福だと思う

今現在、私は人生に何の不満もなく人生で一番幸福感があります。
健康体で金銭的に困っていないし、彼女や家族、親しい友人との関係も良好です。
もちろん、1日の時間が足りない、自分の勉強が思うように進んでいないなど何とかしたいことはいくつかりますが、不満というほどではありません。

アーリーリタイアを達成したことによって、生活時間のほとんどが自分のものになったから幸福だと言えるのだと思います。
仕事をしていたら仕事に縛られる時間がほどんどですし、子供がいたら子供に様々なことを縛られることになるでしょう。
仕事や子供がそれを上回る幸福感をもたらしてくれるならよいのですが、私の場合はそうではありません。

何に幸福を感じられるかは人それぞれでしょうが、健康や金銭的な不安がないこと、良好な人間関係などは大抵の人はその条件となるでしょう。
また、もっと積極的な意味での幸福を求める人も多いと思います。
人生をかけるに値するような仕事、ボランティアや環境活動、その他の自分の信念に基づくような活動なども幸福感を感じられると思います。
もちろん家族に愛情を注ぐこともそうです。
私の周りにも仕事が大好きで最低でも70歳までは仕事をしたいという信じがたい人が少なくありません。

私は仕事や家族、社会的な価値観など、自分以外のもので人生が縛られていない状態に幸福感を感じます。
自分の生活に介入してこられることにイライラするので会社や学校が苦手です。
人生をやり直したいとよく言いますが、もう一度学校や会社に属するのなんて耐えられないです。
会社はまだしも学校のような生活の縛りが大きいところは絶対嫌ですね。

一方で生活が充実していたのは30代前半の社会人のときと大学時代だと思います。
学生時代は前半は体育会にいて後半は自分でサークルを立ち上げたり活動的な学生でした。
バックパッカーの面白さを知ってアジアや中東を旅するのも刺激的でした。
高校時代には大嫌いだった勉強が大学では面白くなって一時は研究者になろうと本気で思っていたほどです。
少しずつ知識が蓄積されて世界が広がっていくのが楽しくてたまりませんでした。

20代後半から30代前半は仕事を頑張っていた時代で自分が成長していくのを感じられてた頃です。
周りの人が優秀で大いに刺激を受けていましたし、ビジネスを作っていくことに少しは面白さを感じていました。
とは言え、自分の時間がないのが辛くてこの頃にリタイアを本気で考え始めたのですが。
それにエベレストに行ったのもこの時で、バックパッカーが刺激的であった最後の頃です。

人生の充実と幸福は重なることもありますが、私には今が一番幸福であとは30代前半、大学時代の順かなと思います。
充実は代償無しではなかなか手にいれることができないからかもしれません。
仕事を充実させようとすると自分の時間を犠牲にする必要がありますし、時には健康さえも損ないます。
それに様々な困難や不愉快な思いも伴います。
私は知識を得て内面の世界が広がるとき、美味しいものを食べるとき、コーヒーとミステリーを楽しむときがあれば十分幸せで、それを邪魔するようなものがあることが不幸せなのだと思います。

人生が充実しているときも幸福ですが、体力や気力などは衰えていきます。
私は恐らく30代半ばがターニングポイントでした。
この頃に高校生の頃から行きたかったエベレストに行ってバックパッカーに一区切りがついたように思えます。
その後はカンボジアに数週間行きましたが、今では短期であっても海外に行こうと思っていません。
仕事でもこの頃が体力と興味の限界だったと思います。
出世して経営に関わってみたいという気持ちはもちろんなかったですし、少しは仕事というものを経験できたかなと満足感を得てしまいました。

そして30代後半になってくると変哲もない日々が楽しいなあと思うようになってしまいました。
邪魔なのは仕事をしている時間だけでしたが、今や週3日のバイトだけなので毎日を楽しめています。
願わくばこのまま健康であればいいと思いますが、いつかは病気にもなります。
けれどもその時でも意外と幸福感はそれほど変わらないのではないかとも思っています。
死へと向かっている状態を自然と受け入れるようになりつつありますし、様々なものに対する執着感もなくなってきています。
日常の生活に幸福感を感じるとは、外部からの余計な刺激がなくちょっとしたことに楽しさを感じられると同時に、様々な執着から逃れていることではないのでしょうか。


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[ 2018/09/25 15:48 ] 人生 | TB(-) | CM(10)

自由と富が奪われていく

近年、国による国民生活への介入が大きくなってきているように思います。
最近では働き方改革なるものが言われ、残業時間や帰る時間、何歳まで働くかを国が指導しています。
会社に対しても投資や給料、雇用制度を当然のように国は様々な要求をします。
日本国民はいつ、どれだけ、いくらで働くかを決める当事者能力がなく国に決めてもらい、会社側も法律や補助金の支給、あるいは単なるお願いに従う必要があるようです。

ふるさと納税やエコポイント、プレミアム商品券などで国が国民の消費生活を指導してやる必要もあるようです。
のどに詰まらせるような食べ物についてもきちんと国が監視をしなければならないですしね。
もちろんたばこやギャンブルなどの対策も国がきちんとしてあげなければ国民は愚かなのですぐに中毒などになります。

国民の側も災害などの安全にかかわる部分もすべて国が責任を引き受けるべきだと求めています。
食品の安全、子供の安全、放射能、市場の地下水の汚染などあらゆるリスクは絶対的であって相対的であることは許されません。
どれだけ費用が掛かっても安心できるまで対策をする必要があります。
母親と子供が何の心配もなく暮らせる国でないといけません。
もし何らかの被害があれば国があらゆる補償をするよう求めます。
もちろん老後の安心も国に求めます。

私は自分のことはできうる限りは自分で決めたいと思っています。
自分の好きな時間、納得する報酬で働き、買いたいときに自分が欲しいものを買いたいです。
結婚するかどうか、子供を作るかどうか、どこに住むかも自分で決めたいです。
国に指導されなくてもそれぐらいの判断はできると信じています。
しかし国の指導に従った場合に何らかの利益が発生するとしたなら、その利益と考量せざるを得ません。
その利益にかかる費用を実際に負担しているのは自分なのですが、それは強制的にサンクコストになっています。

国に何かを求めるということは自分たちの自由をその分放棄するということです。
国が最低賃金を決めるなら雇用者も被雇用者も経営や労働の選択が狭まります。
国が育児制度を隅々まで決めてしまうのなら育児や育児をしながら働く選択が狭まります。
国が特定の産業に過度に介入したり、補助金を出したらその特定の産業は自由を失い、それを利用する国民や企業の選択は狭まりコストも負担させられます。

けれども少なくない人が自由を求めていません。
自由を与えられた場合はそこに個人の責任と努力がどうしても発生してしまうからでしょう。
あるいはそもそも考えるのが嫌なので全て他人が決めてほしいという人も多いでしょう。
自分の恵まれなさを政府や他人のせいにしたほうが楽ですし、努力するぐらいなら他人に負担を要求するほうが楽だし実際に他人から分捕ることができることもあります。
あるいは公務員や大企業の正社員は圧倒的な既得権益がある場合のように現在の利益を維持するために少々の自由を放棄するということもあるでしょう。

自由を求めず国に決めてもらいたいというのも一つの自由なので否定はしません。
国家が生まれてから死ぬまでの生き方のマニュアルを用意してやればよいのです。
問題は自由を求めない代わりに国が自分たちの安全で豊かな生活に国が責任を持つよう要求する人が多いことです。
自由を返上することと富は現代のような経済システムでは両立しません。
国による事業や国民による際限のない要求は効率的で豊かな社会と両立することは有り得ないからです。

自由を放棄する権利の代わりに受け入れるべきものは国による豊かさの保障ではなく、貧乏な生活です。
自由による自己責任を引き受ける気がないのに豊かな生活を求めるのはおかしなことです。

私は自由とそれを基礎とした豊かな社会で楽しく暮らしたいのですが、そうでない人が多いのは不思議でなりません。
基本的には日本と世界の将来を楽観視していますが、最近の日本やアメリカを見ていると不安にもなります。

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[ 2017/01/28 15:50 ] 人生 | TB(0) | CM(19)
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