人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

人生の本番

最近帰省した時に大学時代の友人と飲んでいて1人が俺の人生も余生に入ったかなと言いました。
彼は長年独立行政法人で研究を行ってきましたが、完全に研究から離れて運営側の管理職になっています。
論文を書かなくなって会費や論文の査読の労力があほらしくて学生時代から会員だった学会からも退会したそうです。
根っからの研究者の彼はひたすら愚痴っていました。
かと言って若いころのようなクリエイティブな発想ができなくなったとも認めていましたけどね。

そうすると1人が俺はこれからが人生の本番だと言いました。
彼は寺の住職で同業の親の完全引退が近づき、寺の経営で独自の工夫を色々とするようになってきています。
宗派内でも中堅になっておりようやく年齢的にも1人前の住職とみなされるようになってきているそうです。

人生の本番とはいつでしょうか。
知識や経験などを身につける準備期間が終了して気力、知力、体力が充実して自分がやりたいことを出来ていたり、やりたいことまではいかなくても自分の能力を十分に発揮できているときというのが一般的な見方でしょう。
そうすると多くの人は30代前半から50歳頃までになるのではないでしょうか。
スポーツ選手のような身体的能力が重要であればもう少し前倒しになるだろうし、政治家のように人脈や経験が必要な仕事であればかなりの後ろ倒しになるでしょう。

私はと言えば密度が濃い時間という意味ではやはり大学から30代半ばが人生の本番だったのかなと思っています。
若いころはバックパッカーをしてみたり、少し本気で勉強してみたりとやりたいことをしていましたし、社会人になってからはハードワークをこなして自分がそれなりにレベルアップする充実感を感じていました。
仕事自体は残念ながらあまり面白いとは思っていませんでしたが。
そして40歳を過ぎてセミリタイアに入りひたすら脱力して何も努力せず達成感もない密度の薄い時間を過ごしています。
そういう意味では人生の本番は終わって現在は余生です。

人生の本番がそれまでに得た知識や経験、充実した身体的状態から自分の能力を遺憾なく発揮している期間としたら私の本番は30代半ばぐらいまでで終了したと言っても間違いではないと思います。
けれども人生を楽しいと思えている時間が必ずしも本番と重なるとは言えません。
準備期間や余生のほうが楽しいと思える人は多くいるでしょう。
私自身も現在のダラダラとして達成感のない時間のほうが圧倒的に生きていることが楽しく感じられています。

いやそもそも人生の本番なんて来ない人のほうが多いのではないでしょうか。
自分の能力を遺憾なく発揮するといったところでそんな発揮するような能力なんてどれだけの人が持っているのでしょうか。
私自身も振り返って本番と言いましたが、やりたいことをやってみたり、稼がなきゃいけないからそのための努力をしただけのようにも思います。
人生の本番だったと胸を張れるようなたいしたことをやってはいません。

人生の本番なんて語れる人は自分が好きなことをできているとか自分の能力を発揮できていると言えるごく少数の幸福な人のように思えます。
私と言えばひたすら目の前の不満な状態からいかに逃れるかを考えていたように思えます。
バックパッカーなんて息苦しい日本での生活からの束の間の開放感を得たり、人生の退屈しのぎでお金と時間さえあれば手に入れられる安直な感動の娯楽だったように思えます。
勉強を少し頑張ったと言っても大学院に進学して毎朝起きてスーツを着て電車に乗ってという生活からいかに逃れるかなんかを考えていました。
仕事を頑張ったのなんてまさにお金を稼ぐためには努力しないと仕方がないからだったし、会社が気に入らないというだけで簡単に逃げ出したりしていました。

そういう意味では私には人生の本番はなかったのかもしれません。
30代からアーリーリタイアを意識し始め、いかにして社会のしんどさから逃れるかを考えていました。
人生の本番は訪れなくとも人生の目標である社会との関係を薄くしてひたすらだらだら自分の時間を楽しむということは達成したと思います。
人生に本番なんてないという人は多いというかほとんどではないかとも思いますが、そういう人でもより人生を楽しむという目標は立てることは出来ます。
もちろんそのためには努力が必要ですし、頭も使う必要があります。
それは人生の本番を迎える人と同じであり、どちらの人生であってもそれだけの準備が必要だということでしょう。

それにしても昔の友人と会うと人生まだまだこれからという人、もう撤退戦に入っている人が綺麗に分かれるようになってきました。
そして人生これからという人はつまるところ成功した人生を送っており自信に満ち溢れているように見えます。
もちろん撤退戦に入っている人が人生つまらないとか不幸だとか言うわけではありません。
結局人には適性というものがありその適性に沿った生き方を戦略的にできるかどうかです。
それができる人が楽しい人生を送ることができるのではないでしょうか。
自分の適性を理解できなかったり、あるいは自分の望むような適性でなかったりもするのですが。
さてさて人生の本番なんて来なくても生きている限り明日は常にやってくるし、明日からもこの北海道の暮らしを楽しむことにしましょう。

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[ 2022/08/18 18:21 ] 人生 | TB(-) | CM(4)

勝てるところでだけ勝負してきた

ほとんどの人は多くを望まず平穏無事に人生を歩めたらいいと思っているのではないでしょうか。
人生をかけるに値するやりたいものがあったり、とことん上を目指したい人もいるかと思いますがおそらく少数派でしょう。

現代社会で平穏無事にそこそこの人生を送ることも決して簡単ではありません。
そもそも日本に生まれるだけでもかなりの幸運と言え、貧しい国の貧しい地域に生まれるとスタートラインにも立てないでしょう。
そんな中でうまく人生をやっていくためには勝てる勝負だけすることとそこでの最低限の努力を怠らないことだと思います。

人生での勝負と言っても色々あります。
大きな勝負どころは高校、大学受験、就職、転職の仕事の選択、株や不動産などの投資、結婚、子供などでしょうか。
どういう親元でどういう地域に育つなどは自分の努力ではどうにもならないので選択はできません。
与えられるカードは全員が異なるので、与えられたカードで勝負するしかありません。
例え与えられたカードが悪くても挽回できるのが日本のいいところです。
近頃は親ガチャなんて言葉もあるようですが、親が重要な要素ではあっても教育期間中に学校でさえ社会を知ることや基本的な学力が大切なことを学ぶ機会がなったのでもない限り自分の努力次第だと思います。
ひどく教育水準が低い地域で育った友人に言わせると普通のサラリーマン家庭で育った私には理解できない世界だとよく言われるのですが、義務教育がある日本で考えるとか学ぶという行為を一切知らないで育つということはなかなか想像しがたいです。

仕事の選択は人生を最も左右するものでしょう。
仕事の選択をするときは仕事の将来性、自分の適性、仕事をするために必要な努力やコストを正確に把握することが重要です。
将来性のある仕事でも自分の適性がなければ続かないし、競争にも勝てません。
また適性があってもそのための努力が自分にとってつらいレベルかもしれません。

私は大学生の時に大学に残り研究の道を進みたいと漠然と考えてそれなりに勉強もしていました。
しかしあっさり諦めたのは学問の世界で生き残るための努力は相当きついだろうし、簡単に職を得られるような業界でないのに優秀な人が多く参入してくると業界だと痛感していたからです。
もちろんどんな人生になっても学問は人生をかけるに値すると思っていれば学者の道を進んだと思いますが、そこまでは思っていませんでしたし、職業としての学者は学問だけをしていればいいわけではないことも理解していました。
この業界では自分に適性がなく、ポストが少ないのに優秀な人が多いので明らかに勝てる勝負ではなかったでしょう。
私よりもずっと優秀だった友人は大学に残りましたが彼でさえ結局非常勤講師のまま一生を終えそうです。
常に金がないと言いつつも意外と楽しそうに人生を送っていますが。

結局、キャリア公務員の勉強をしつつ民間の就職活動も並行して行いました。
キャリアは二流官庁ぐらいなら何とかなるかなと思いましたが、それでも優秀な人ばかりで大変だろうし、何より仕事のきつさと給料の安さに耐えられないだろうと思い試験は受けませんでした。
最終的にはとある企業に入社してIT部門を希望して配属されました。
そこから平々凡々なITの仕事してきました。

ITを選択した理由はまさしくここなら私は勝てると思えたからです。
35歳定年説、3Kなどと言われて仕事がきついと言われていましたが、業界の将来は明るく規模の拡大だけではなく新しいビジネスが次々生まれることも期待されていました。
その結果としてIT技術者は不足して競争がかなり緩く生き残りやすいだろうという目論見でした。
手に職がつく仕事なので転職も容易ですぐに居場所を変えたくなる私にはぴったりの仕事でもありました。
また、私自身アルゴリズム的な発想が得意でプログラミングなどのIT技術に向いており、プロジェクトの遂行という全体を見据えて仕事をしていくという能力にもある程度自信があったので自分の適性にぴったりの仕事だと考えていました。
若いときは地方自治体や金融のITの仕事をしていましたが、その後は自然科学系の分野に転向したのもこの分野が伸びるし、希少価値で収入を得やすいだろう考えてのことです。
この推測もぴたりとあたり自然科学系の知識とITの知識を持っていることはそれなりの希少価値となり収入もかなり上がりました。
ただし、研究者の研究内容やトレンドなどについて行くための知識を身につけるためにはかなり努力をしました。
また、今でも高い時給でバイトできるのはIT業界が人手不足で経験のある人が圧倒的不足しているからです。

私はIT業界なら競争が緩いし自分の能力の適性があると思い、実際その選択は正しいものでした。
けれどもITにはいまだに興味がありません。
ホストコンピューターから始まり、オープン系、クラウドと技術が変遷するたびに新しい知識を習得してきましたが、それほどは面白いと思えませんし新しい技術がトレンドになるたびに勉強するのは正直しんどくなってきます。
結局やりたいことではなく、人生を生き抜くための仕事を選択したことになります。

人生それでいいのかと問われると難しいところですが、私にはリスクのある人生を歩む決意をするほどのものがなかったということです。
大半の人はそうではないでしょうか。
人生をかけるに値するものがないのならあとはいかに効率よく生活の糧を得るかが重要で、そのためには勝てるところで勝負していくしかないのかなと思います。
もし私が学者の道を歩んでどこかの大学に無事就職できたとしても、IT業界を選択した今の人生のほうが楽しめたと思います。
優秀過ぎる人に囲まれて自信を持てないということもなく、人間関係に悩む前に転職ができて、給料もそれなりに高く、何度も会社を辞めて2か月ほどのバックパッカーを楽しめ、そして最終的にアーリーリタイアできたのですから。

勝てるところで勝負することが人生を生き抜くための必須条件だと思います。
しかし、当たり前のことですがそれには努力が必要です。
IT業界はピンキリで給料の安い下請けから大手IT企業のような元請けまでのヒエラルキーがあります。
元請けでも〇〇通なんかは安月給のイメージですし、管理の仕事ばかりでは面白くなくITの知識もつかないということも多々あります。
管理の仕事ばかりで他で通用しなくなった人はよく見かけます。
IT業界を生き抜くには業界を理解しつつ必要とされる人間にならないときついだけで給料の安い仕事を続けることになります。
チャンスは多く転がっていますが、正しい方向に努力してチャンスを掴めるかどうかで大きく環境が変わる業界でもあります。
そのため適性というは大事なのです。

仕事以外でもスポーツや大学受験でも勝てる勝負をして傷つかずに居心地のいい環境にいることばかり考えていました。
大阪から東京に来たのも東京のほうが居心地がよいと思ったからで実際にそうでした。
東京では仕事でのチャンスが多く、人間関係も心地良いものばかりで大げさに言えば東京に救われた感があります。

正しい場所で正しい努力を怠らなければ日本に生まれたなら人生はそこそこ上手くいくように思います。
そしてそういう基本的なことをできる人は多くはいないからこそ、勝てる場所があるのだと思います。
人と競争するばかりだけではなく、節約や投資といったものも同じです。
勝てる勝負で小さな勝ちでもいいから積み重ねて行くと必ず報われるのではないでしょうか。

たまにそんなしょぼい人生でいいのかと言われることもありました。
高校の時、勉強はできたほうなので現役で合格できる力があるのになぜ東大か京大を受けないのかと先生に何度も怒られました。
上を目指さないと大した人生を送れないぞと。
先生、その通りのしょぼい人生を送ってます!
大学で目をかけてくれた教授に大学に残って研究の道を進んだらどうだと言われました。
一度きりの人生を後悔するぞと。
大学時代に色々と活動していたのでいまだに精力的な友人がいるのですが、そんな落ち着いた人生でいいのかとも言われます。
けれども残念ながら私はたいして傷つかず大きな挫折もなく小さな勝ちを拾ってきた人生に満足しきってます。
それが私の人生に対する適性だったとしか言いようがありません。
そしてほとんどの人は人生に対する適性は私と同じようなものなのではないかと思うのです。

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[ 2021/09/26 12:25 ] 人生 | TB(-) | CM(11)
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