人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

もう一回世間体

前回、世間体について書いてみましたが、世間って何だろうと思いはじめたのでもう少し書きます。

私は世間体を気にしないと書いたのですが、ちょっと違って世間というものが存在しないという感じです。
世間をリアリティがあるものとして感じていないからだと思います。
私自身は自分を勝ち組と思っていますが世間の中で他人と比較しているわけではなく、自分が今満足できているかという絶対的なものです。
比較する他人が存在しないからです。
あえて言えば大阪時代は人生がつまらなかったので、過去の自分と比較してということです。
そもそも価値観を含むような勝ち負けなんて自分自身にしか判断できないものですし。

人の前に世間とはどのように現れるのでしょうか。
世界と言ってもいいのですが、ここでは世間とします。
世界とは自然なども含めた広いものですが、世間は人が構成するものとします。

私は様々なものが立ち現われる場が存在し、そこで何かを受け取る仕組みみたいなものがあってそれが自我となると考えています。
その自我がありありと現れるものを感じ取って世界が形成されていきます。
(現象学のことを考える人がいるかもしれませんが、何ほどかを言えるほど私は現象学の知識はありません)

そのリアリティを持って私の前にあらわれるような人たちにも関わらず、不特定多数の匿名の存在で構成されるのが世間なのかなと思います。
家族や親しい友人ではリアリティが強すぎて世間を構成する人ではありません。
親が息子を世間体が悪いというときには息子と一体化した親が世間にたいしてです。
リアリティがないと世間を意識できないのですが、世間は同時にもっと距離があってあいまいな感じのものです。

他人が世間を代表するような言葉を投げかけたとき、それをリアリティを持って受け止めたときは世間を感じているのかもしれません。
その人が代表する世間はよく分からないものなのに、その言葉を発する人にはリアリティを感じています。
目の前で言葉を投げかけられているにも関わらず、そこに立ち現われる世間は非常にあいまいなです。
テレビやネットもリアリティを持って感じることができるにしても、家族や友人のような存在ではなく匿名の存在です。

ワイドショーで無職を馬鹿にする人がいたとき、その人自体は匿名ではないのにそこに視聴者は不特定多数の存在を見ています。
ネットはまさに匿名の発言で溢れていますが、テレビのようなリアリティを持った伝達者なしで直接不特定多数の世間を見ています。
テレビよりネットを好む人が多くなってるのは伝達者にリアリティがなくなりつつあるからかもしれません。

脱線しますが、地球の裏側のブラジルで無職を馬鹿にする発言がされて翻訳のテロップが表示されていたとしたらそこにリアリティを持って世間を感じるでしょうか。
大多数の日本人は世間を感じないのではないでしょうか。
伝達者が自分たちと同じカテゴリーに属していないように感じてリアリティを感じられないからです。
別世界の話と感じられるでしょう。
ではそれが日本人を馬鹿にした発言ならどうでしょうか。
その時には自分たちもその枠組みに入るとことができて急にリアリティを感じることができるのではないでしょうか。

世間を構成するには、不特定多数の存在をまとめ上げてそれをリアリティをもって媒介する仕組みが必要です。
それに適しているのはテレビやネットのようなメディアでないでしょうか。
あるいはそのような世間を感じることができる家族や友人を通してではないでしょうか。

この直接、間接の世間を映し出す存在を強く感じ取ることができる人が世間を強く感じ、そして世間体を意識するのではないでしょうか。
私のうちに世間が立ち現れないし、そのため世間体を意識することないのはこれらを伝達する存在を感じていないからだと思います。
テレビもネットもあまり見ないし、たまに目に入ったとしても意識することなく流れていくだけです。
それは地球の裏側のブラジル人のおしゃべりに感じるのと変わりません。
また私が普段接する友人にも世間について教えてくれるような人もいません。
ごくたまに世間を教えてくれるような人にも会いますが、世間ではなくその人個人の考えだろうというぐらいにしか思いません。
そのような声をきく頻度が高くならないと私の中で世間は立ち現われないと思います。
この繰り返しとは大切で、テレビやネットでは繰り返しがあるので世間を強く感じる人が増えるのかもしれません。
しかし繰り返しは強度を上げるかもしれませんが、当然のことながらそのような意見を持っている人が多いとはいえません。

結局私には世間が極めて希薄な存在なのだと思います。
私の世界を構成する人たちは10人程度の家族と親しい友人、そしてそれより遠い関係の1年に1度会う程度の30人程度の友人ぐらいです。
彼らでさえも私に強い影響を与えることはありません。
ましてやそれ以外の人の存在はないに等しく、宇宙人やロボットと同じぐらい希薄です。

自分以外の存在にどれほどリアリティを持てるかというのはパーソナリティの問題なのかもしれません。
シリアでの内戦に本気で心を痛める人がいれば、全く別世界のことで何も感じないという人もいます。
人類というカテゴリーではあまり感じなくても、日本人というカテゴリーではリアリティを感じることできる人がいるかもしれません。
外国の事件で全く興味なかったのに日本人がかかわってるとなると興味を持つ人はいるでしょう。
デカルトの研究者は家族よりデカルトにリアリティや親しみを感じるかもしれません。
バクテリアの研究者はバクテリアが世界のほとんどを占めているかもしれません。

人は自分が作り上げた世界で生きざるを得ず、世間体を気にする人は自分が作り上げた世界に違和感や生き難さを感じているのでしょう。
そうなら自分で世界をつくりかえればいいだけの話だと思うのですが、大人になってからは難しいものです。
しかし、居場所を変えることによってある程度世界は変わります。
転職したり、引っ越ししたりで確実に変わります。
日本で無職は世間体が悪いのならタイや台湾に行けば世間体を気にしなくなるでしょう。
世界を変えられないのなら仕事をするというのもありです。

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[ 2018/05/19 13:04 ] 雑感 | TB(-) | CM(9)

今年のお正月

大分遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
昨日実家から帰ってきました。

今年はかなり長く実家でダラダラとしていました。
相変わらず正月とか何も関係なく、ゲームをしたりHULU見たり本読んだりで終わりました。

私の両親もとうとうお正月に興味をなくしてきたみたいで、正月番組も見ないし、初もうでも行かなくなったようです。
数年前にスーパーで買った古びた佐藤の鏡餅は飾られていましたが。
それでもお雑煮とお節はまだ食べています。
私は白みそのお雑煮が大好物なのでお正月に関係なく作ってもらっています。

中学、高校の友人との飲み会では毎度のことですが、みんなが子育てに頑張っており、立派な社会人だなあと尊敬してしまいます。
しかし、これらの飲み会に来るのは現在の自分の生活に引け目を感じない人だけなのではないかという話が出ました。
確かに現在の自分に自信がないような人は昔の友人とは会いたくないのかもしれません。
ちなみに年末に会う友人たちはどちらかというとそれほどは仲がいいというわけでもなく、価値観とが違うグループです。
新卒で入社した会社にずっと勤め、途中で結婚して子供を育ててという人生を当たり前と思うタイプの人たちです。
そのせいか、仲の良い同級生の友人たちは私のリタイアに興味があったり羨ましいという人が多いのに対してこの飲み会では全くリタイアに興味や賛同を得られません。

さて、今年の目標は特にありません。
健康でいられたら十分です。
去年は活動量が多すぎたので今年はもう少しゆったりと暮らすつもりではいます。

アルバイトは少し楽しくなっているので続けるつもりです。
ただ仕事の区切りが今度は4月ぐらいになりそうなのでそれ以降はどうなるか分かりません。
このアルバイトがなくなれば自分から探すことはなさそうかなと思います。

旅行は彼女と何度か行くと思います。
海外は面倒ですが、国内旅行は身体が楽だし今のところ楽しいです。
彼女は外国には興味がないみたいでパスポートさえとったことがないのでちょうどよいです。

今年は記事を月2回ぐらいのペースで書いていきたいと思います。
それでは今年も良い年となりますように。

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[ 2018/01/11 17:55 ] 雑感 | TB(-) | CM(2)
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