人生の暇つぶし

2016年にリタイアしました。アーリーリタイアや資産運用、旅、読書などのネタを徒然なるままに書き綴ります。

個人情報駄々洩れ時代

Facebookのいいねボタンを押すとアカウント情報がFacebookに送られていることが以前に話題になっていました。
たまたま見ていたサイトに関連する広告がそのあとしつこく表示されるというのは誰もが経験したことがあると思います。

ネット上での個人の様々な行動は情報として集積され広告のマッチングなどに利用されています。
現在では誰もがスマホを持つ時代ですが、決済、メッセンジャー、カメラ、GPS、利用するアプリなどから得られる情報はもの凄いでしょう。

特にグーグルは恐ろしいほどの個人情報を集積しており、自分に関連する情報をグーグルのサイトからダウンロードするととてつもない量になると言います。

私が怖いと思うのはグーグルマップのロケーション履歴です。
私はOFFにしていますが、アップデートのせいなのか何度か知らない間にONになっていた経験があります。
この機能に普通の人は恐ろしさを感じないのでしょうか。
その人の日常生活での行先をグーグルにすべて把握されてしまいます。
地図情報を合わせると勤務先、営業先、飲み屋、ホテル、退社時間、帰省先、病院などほとんどその人の行動が筒抜けになります。
奥さんがこっそり夫のスマホのグーグルマップのロケーション履歴をONにしておけば行動はすべてばれてしまいます。
これらは離婚時に何らかの証拠として認められるのでしょうか?
近い将来は緯度、経度だけでなく高さも把握できるそうですが、訪れた家や店もほぼ正確に把握できる時も間近でしょう。

またgmailの内容はメールの拡張ソフトを開発している業者などが見ることができるという記事も何度か見たことがあります。
あくまで開発のためであり厳しい規約を守ったうえでという建前がありますが、目的外利用なんて簡単におきそうですし、そもそも開発のためと言えど他人のメールを読むことが許されていいのか疑問です。

まちにはあらゆる場所に監視カメラもありますし、そもそも現代社会ではプライバシーが成り立たないのかもしれません。
中国人が個人情報に無頓着なのはそもそもすでに個人情報なんて政府に筒抜けと分かっているからと聞いたことがあります。
中国では監視社会が急速に進んでいようです。
ウイグル地区の監視カメラ網やウィーチャットの監視などはまさしく昔イメージされた監視社会でしょう。
科学技術の進歩で監視国家が可能となり、それを堂々と行う政府は今後も増えていくでしょう。
強権国家が増えつつある時代なので余計に怖いです。

私自身は今のところ個人情報が把握されることをそれほど気にしていません。
(さすがにグーグルマップにロケーション履歴を把握されるのは嫌ですが)
利便性を引き換えにしていると割り切っています。
しかし気にしている人は結構いると思います。
通販は必ず代引きにしている人は相当数いるでしょう。
それでも通販を代引きにしたりクレジットカードやポイントカードを持たない人もスマホやネットをするでしょうし、そもそも代引きでも買い物をした店には情報が渡るので大した効果がないように思いますが。

AIが進化すると収集した情報から意味のある情報を抜き出す技術は飛躍的に進歩しそうです。
遺伝子情報のような個人情報の深化もアマゾンエコーのような個人情報取得の手段の多様化も進んでいます。
相手がよく分からないという前提で商売や交友がなされる時代から、相手のことを深く分析されていることが前提の商売や交友がなされる時代に変わりつつあるのかもしれません。
消費以外にも結婚相手や取引相手、採用などマッチングが必要なあらゆる場面で利用可能でしょう。
あるいは敵対する相手を追い込むためにも。
技術的にはすでに可能でしょうが、それを利用できるのは政府やグーグル、アマゾン、Facebookなどの情報を集める力があるところだけなのでしょう。
やはり今後の社会は情報を集めたものが強者となりそうです。

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[ 2018/07/24 17:20 ] 雑感 | TB(-) | CM(4)

もう一回世間体

前回、世間体について書いてみましたが、世間って何だろうと思いはじめたのでもう少し書きます。

私は世間体を気にしないと書いたのですが、ちょっと違って世間というものが存在しないという感じです。
世間をリアリティがあるものとして感じていないからだと思います。
私自身は自分を勝ち組と思っていますが世間の中で他人と比較しているわけではなく、自分が今満足できているかという絶対的なものです。
比較する他人が存在しないからです。
あえて言えば大阪時代は人生がつまらなかったので、過去の自分と比較してということです。
そもそも価値観を含むような勝ち負けなんて自分自身にしか判断できないものですし。

人の前に世間とはどのように現れるのでしょうか。
世界と言ってもいいのですが、ここでは世間とします。
世界とは自然なども含めた広いものですが、世間は人が構成するものとします。

私は様々なものが立ち現われる場が存在し、そこで何かを受け取る仕組みみたいなものがあってそれが自我となると考えています。
その自我がありありと現れるものを感じ取って世界が形成されていきます。
(現象学のことを考える人がいるかもしれませんが、何ほどかを言えるほど私は現象学の知識はありません)

そのリアリティを持って私の前にあらわれるような人たちにも関わらず、不特定多数の匿名の存在で構成されるのが世間なのかなと思います。
家族や親しい友人ではリアリティが強すぎて世間を構成する人ではありません。
親が息子を世間体が悪いというときには息子と一体化した親が世間にたいしてです。
リアリティがないと世間を意識できないのですが、世間は同時にもっと距離があってあいまいな感じのものです。

他人が世間を代表するような言葉を投げかけたとき、それをリアリティを持って受け止めたときは世間を感じているのかもしれません。
その人が代表する世間はよく分からないものなのに、その言葉を発する人にはリアリティを感じています。
目の前で言葉を投げかけられているにも関わらず、そこに立ち現われる世間は非常にあいまいなです。
テレビやネットもリアリティを持って感じることができるにしても、家族や友人のような存在ではなく匿名の存在です。

ワイドショーで無職を馬鹿にする人がいたとき、その人自体は匿名ではないのにそこに視聴者は不特定多数の存在を見ています。
ネットはまさに匿名の発言で溢れていますが、テレビのようなリアリティを持った伝達者なしで直接不特定多数の世間を見ています。
テレビよりネットを好む人が多くなってるのは伝達者にリアリティがなくなりつつあるからかもしれません。

脱線しますが、地球の裏側のブラジルで無職を馬鹿にする発言がされて翻訳のテロップが表示されていたとしたらそこにリアリティを持って世間を感じるでしょうか。
大多数の日本人は世間を感じないのではないでしょうか。
伝達者が自分たちと同じカテゴリーに属していないように感じてリアリティを感じられないからです。
別世界の話と感じられるでしょう。
ではそれが日本人を馬鹿にした発言ならどうでしょうか。
その時には自分たちもその枠組みに入るとことができて急にリアリティを感じることができるのではないでしょうか。

世間を構成するには、不特定多数の存在をまとめ上げてそれをリアリティをもって媒介する仕組みが必要です。
それに適しているのはテレビやネットのようなメディアでないでしょうか。
あるいはそのような世間を感じることができる家族や友人を通してではないでしょうか。

この直接、間接の世間を映し出す存在を強く感じ取ることができる人が世間を強く感じ、そして世間体を意識するのではないでしょうか。
私のうちに世間が立ち現れないし、そのため世間体を意識することないのはこれらを伝達する存在を感じていないからだと思います。
テレビもネットもあまり見ないし、たまに目に入ったとしても意識することなく流れていくだけです。
それは地球の裏側のブラジル人のおしゃべりに感じるのと変わりません。
また私が普段接する友人にも世間について教えてくれるような人もいません。
ごくたまに世間を教えてくれるような人にも会いますが、世間ではなくその人個人の考えだろうというぐらいにしか思いません。
そのような声をきく頻度が高くならないと私の中で世間は立ち現われないと思います。
この繰り返しとは大切で、テレビやネットでは繰り返しがあるので世間を強く感じる人が増えるのかもしれません。
しかし繰り返しは強度を上げるかもしれませんが、当然のことながらそのような意見を持っている人が多いとはいえません。

結局私には世間が極めて希薄な存在なのだと思います。
私の世界を構成する人たちは10人程度の家族と親しい友人、そしてそれより遠い関係の1年に1度会う程度の30人程度の友人ぐらいです。
彼らでさえも私に強い影響を与えることはありません。
ましてやそれ以外の人の存在はないに等しく、宇宙人やロボットと同じぐらい希薄です。

自分以外の存在にどれほどリアリティを持てるかというのはパーソナリティの問題なのかもしれません。
シリアでの内戦に本気で心を痛める人がいれば、全く別世界のことで何も感じないという人もいます。
人類というカテゴリーではあまり感じなくても、日本人というカテゴリーではリアリティを感じることできる人がいるかもしれません。
外国の事件で全く興味なかったのに日本人がかかわってるとなると興味を持つ人はいるでしょう。
デカルトの研究者は家族よりデカルトにリアリティや親しみを感じるかもしれません。
バクテリアの研究者はバクテリアが世界のほとんどを占めているかもしれません。

人は自分が作り上げた世界で生きざるを得ず、世間体を気にする人は自分が作り上げた世界に違和感や生き難さを感じているのでしょう。
そうなら自分で世界をつくりかえればいいだけの話だと思うのですが、大人になってからは難しいものです。
しかし、居場所を変えることによってある程度世界は変わります。
転職したり、引っ越ししたりで確実に変わります。
日本で無職は世間体が悪いのならタイや台湾に行けば世間体を気にしなくなるでしょう。
世界を変えられないのなら仕事をするというのもありです。

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[ 2018/05/19 13:04 ] 雑感 | TB(-) | CM(11)
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