最近、億り人という言葉を知りました。
資産が1億以上、特に株やFXで資産を築いた人のことを言うのだそうです。
おそらく映画の「おくりびと」とかけているのだと思うのですが、納棺師という職業を考えると中々シュールでうまい造語だと思います。
私は1億円の資産を築くということに何の興味もありません。
1億円という数字には何の価値もなくて、資産の価値はモノやサービスに交換することにより実現されるものです。
自分に必要なモノやサービスを交換できるだけの金額が必要かつ目標とする資産額です。
資産が増えてより豊かな生活ができるということに価値はありますが、1億を達成することの価値はありません。
ではなぜ億り人という言葉ができるのかというとやはりそこには意味が込められ何らかの表象となるからです。
金持ちの定義はそれぞれでしょうが、1億というきりのいい数字は少なくとも金持ちの入り口と言えるでしょう。
しかも1億であればそれなりの人が達成することが可能です。
これが10億となるとそこまで達成する人の数が少なすぎて、俺も俺もと話題にはなりにくいでしょう。
そして1億という数字は人とは異なっているという優越感を手軽に与えてくれます。
またお金による交換価値ではなく、お金の使用価値そのものに喜びを見出す人もいます。
お金を使うのではなく、残高を眺めてニヤニヤすることに喜びを見出す人です。
こういう人は数字の羅列に喜びを見出しているので1000万、5000万、1億、5億というきりのいい数字は一つの目標となります。
資産運用やお金の消費を考えると1億円という数値はバイアスにしかなりません。
意味のないことに意味を見出しているからです。
インカムゲインに縛られているのと変わりません。
しかし人はきりのいい数字に色んな意味を込めます。
結婚10周年、創立10周年、渡航国100か国、20歳、喜寿、西暦2000年、紀元2600年、20世紀末、2000本安打、200勝、・・・。
200勝は199勝より1勝だけ多く、201勝より1勝だけ少ないだけであり、それ以上の意味はありません。
しかしそこに意味を見出そうとするからこそ人は豊饒な世界を作ることができるのだと思います。
そこに背を向けてしまうと無機質で均質な世界が広がるだけです。
若いころは年収1000万というのは私にとって価値がありました。
達成した時には何だか自分はちょっとできる人という妄想を抱けたものです。
しかし人と比較する必要性が無くなった今では何とも思わなくなりました。
そして現在の目標としている数字は日本株の所有数です。
リタイアを先送りしている間は増やしていけるので200社を目指しています。
私にとって日本株は運用というより所有することに価値があります。
そのためきりのいい200という数字に価値が出てくるのです。
資産1億円は全く興味がないのに200社の株式所有は目標となっています。
まだまだ私にもこの世界に意味を見いだせることが沢山あるようです。
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もう生活していくのには十分だと判断してリタイアしてしまいました。
その後超えたんですけど、
正確な時期も良く分からないです。
テヘヘッ (*゚ー゚)>